だいぶ前から、田布施町にある富永有隣碑を見たいと思っていました。しかしながら、これまでその場所がはっきり分からずにいました。介護老人福祉施設田布施苑の近くであることは知っていました。そこで、実際に行って探してみることにしました。まずは、田布施苑傍にバイクを置いて周りを探索することにしました。
田布施苑傍にバイクを止める 古いお墓に向かう坂道
バイクを止めてまわりを見渡すと、丘の上に古いお墓があるのが見えました。そのお墓に行ってみました。新しいお墓やとても古い様式のお墓までいろいろありました。その中で、明るくも奥まった場所に少し大きめの二つ並んだお墓に注目しました。正面に書かれた文字は戒名らしくて誰やら分かりませんでした。しかし、後ろに回って文字を確かめると富永有隣と分かりました。二つ並んだうち隣のお墓は、奥方のお墓かも知れません。
明るくも奥まったこの場所にある富永有隣の墓所
次に、住居跡近くに立てられているという富永有隣碑を探すことにしました。瓜迫農業公園傍にあるとのことで、まずはその公園を探すことにしました。その公園は、墓所から北側に少し下がった場所にありました。農業公園とのことで、畑か農園に関わるのかと思っていたら普通の広場でした。また遊具がたくさんある公園のイメージとも違いました。
墓所から暗い道を下る 見えてきた瓜迫農業公園
広場のような瓜迫農業公園に着くと、碑を探しました。すると、北側のこんもりとした木々の間に富永有隣碑が立っていました。思っていたよりも巨大な碑でした。また、そばに住居があったとのことでしたが、長い間に腐ったのでしょう。住居はあとかたもありませんでした。木片ぐらいはあるのかと思いましたが何もありませんでした。地元の方が片付けたのでしょう。
仰ぎ見るような巨大な富永有隣碑
碑を見終わると、元来た道を引き返してバイクを置いた田布施苑傍に戻りました。そして、来たついでに子供の頃よく行った城南小学校に行ってみることにしました。途中、遺跡の埋め戻し作業を左手に見ながら田んぼの横を通りました。
今の城南小学校は立派な鉄筋コンクリート製ですが、私が子供の頃は木造でした。私が中学生の時、たまたま訪れた木造校舎の城南小学校は運動会でした。その賑やかさがとても懐かしく思い出されます。思い起こすと、私の母校の麻郷小学校も、そして東田布施小学校,麻里府小学校などみんな木造でした。昭和30年代にすでに廃校となっていた、麻郷高塔にあった麻郷中学校や西田布施奥にあった国木小学校などもみんな木造でした。当時、高塔子供会などで麻郷中学校跡の旧校舎で映画会やイベントをしたものでした。まだ高塔公会堂がない頃のことです。今、その場所に麻郷中学校碑が人知れず置かれています。
小中学時代、私は友達とこれら各地の木造校舎を自転車で遠く訪れたものでした。
遺跡を埋め戻し中の田んぼ道 今は鉄筋の城南小学校
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田布施町城南 富永有隣碑近くを散策
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