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Channel: 東京里山農業日誌
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柳井市伊保庄の山間部~海岸部の史跡事前調査ウォーキング(1/3)

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 11月に伊保庄の山側を史跡探索しながら歩きました。しかし、探索に時間がかかり過ぎたため途中から引き返しました。今回はもう一度同じ道を歩いて山越えをして、海に出て史跡探索しながら歩きました。前回見つけた史跡は通り過ごして、すぐに伊保庄の山側に向かいました。山ぎわを歩きながら圃場整備している田んぼを見下ろしていると馬小屋が見えました。その馬小屋に寄ってみました。馬を見た後に山から下りていると、今度は牛がたくさん見えてきました。今回は馬を見たり牛を見たりした史跡探索ウォーキングでした。

       たくさんの牛がのんびりと寝そべっていた斎藤牧場


 伊保庄の山側は圃場整備で昔の景観がすっかり変わっていました。一番驚いたのは、私の母方の古いお墓です。私が子供の頃、そのお墓は石製ではなく木製でした。そのお墓を約60年ぶりに訪れました。私が覚えていたお墓の場所は草が生えているだけでした。木製のお墓は朽ちて土に返ったようてす。私が子供の頃に聞いた話では、株に失敗して全財産を失ったため、木製のお墓しか建てることができなかったそうです。石製ならば、今でも建っているはずなのにと思いました。

 山裾から見えた馬小屋   二頭の馬が馬小屋に    道脇の浄盧寺跡
  

 お墓からどんどん下っていると、南陽霊場のお堂が道脇に見えてきました。そのお堂の近くにご住職のお墓が一基建っていました。たまたま、伐採した樹を運んでいる方が近くにいました。その方から、言い伝えられたお話を伺うことができました。その昔、伊保庄の山の上に浄盧寺と呼ばれる寺があったとのこと。しかし、火事になって消失後に今の場所に移転したそうです。その後、お寺を継ぐ方がいなくなり無住のお堂になったそうです。いつ頃移転したかなどは分からないとのこと。江戸か明治の頃だと思われますが、今や検討がつきません。江戸時代後期にまとめられた防長風土注進案に記載があるかも知れません。調べてみようかと思います。

   昔、門徒だったらしい正覚寺      圃場整備と開発が進む伊保庄
 

 浄盧寺跡を出てすぐの場所でたくさんの牛に出会いました。斎藤牧場です。道の両脇に牛が寝そべって口をもぐもぐ動かしていました。少しの間だけ牛を見て、さらに道を下りました。すると、広い交差点に出ました。そして、その交差点に面する正覚寺に行きました。このお寺は母方の親戚が門徒だったようです。その昔火事になってしまい、過去帳がすべて焼失してしまったそうです。ところで、交差点付近は工事中でうるさいほどでした。道路が広くなりつつあり、周辺の田んぼは補助整備の真っ最中でした。数年後には景観がすっかり変わってしまうでしょう。

          再度歩いてみた伊保庄の史跡探索ルート


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