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Channel: 東京里山農業日誌
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八王子市 一駅ウォーキング(南大沢~堀之内) 2/2

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 八幡神社を過ぎて、しばらくは首都大学敷地に沿う道を歩きました。そして、大田川筋に出ました。ここで、八王子に住んでいた頃によく買物にきたDIYのお店に寄ることにしました。珍しくお店の駐車場は車でいっぱいでした。私は歩きですので、その車をぬうように歩いてお店に入りました。これからの夏休みに備えてでしょう、家族連れがひしめき合っていました。

  大田川に沿う由木緑道   由木緑道沿いにお地蔵様   誰も通らない大田川沿い 
  

 DIYのお店を出ると、いったん大田川沿いに戻りました。そして、大田川沿いの由木緑道を歩きました。歩いていると、道沿いにお地蔵様が立っていました。由木緑道となっていますが、元々は八幡神社に通じる古くからある道なのではないでしょうか。古い道かどうかは、道沿いにお地蔵様,道祖神,そして庚申塔などがあるかどうかである程度分かります。

             由木緑道を大田川沿いにどんどん下る、日射が強い!


 由木緑道を大田川沿いに下っていると、大栗川公園に着きました。大栗川と大田川の合流地のため、公園の形が三角形をしています。そのため、通称:三角公園とも呼ばれています。この公園で少し休憩しました。公園を過ぎると、川沿いの土手に不思議な形の石のオブジェがありました。石に目玉のように見える丸い金属がはめ込まれています。どうもフクロウをイメージしているようです。

大栗川公園(通称:三角公園)     大栗川公園の先端      フクロウにみえる石
  

 フクロウのオブジェの幾つかを見ながら、川沿いの道を下りました。大田川と大栗川とが合流して、川幅が増した大栗川になります。ここからもうすぐで堀之内駅です。しかしながら、あまりに暑いので駅近くのコンビニに入りました。そして、アイスクリームを食べました。これで、少しは体が冷えました。

          大田川と大栗川の合流地点(三角公園)、ヘビのウロコのよう


 コンビニを出ると、ほんの少し歩くだけで堀之内駅です。この駅は、かつてデイサービスに勤めていた時、毎日のように乗り降りして駅です。今でも、東京に来たときに一度は行く駅です。
 この駅の次は、多摩ニュータウン駅です。多摩ニュータウンは、数年前まで毎日のように通勤していた病院がありました。多摩ニュータウンは、ボーイスカウト活動,精神障害者ヘルパー,各種イベント、ウォーキングなどで走り回った思い出深い街です。

         今回ウォーキングした、南大沢駅から堀之内までのルート


古いクラウン製トランジスタラジオ HT-70の修理(4/x)

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 天候が思わしくないため農作業ができず、外に出ることができません。このため、ラジオの修理をすることにしました。修理中のラジオは最初、周波数変換回路のコンデンサが故障していたため、それを修理しました。そして、次に低周波増幅回路の結合コンデンサが容量不足の故障だったため、それも修理しました。しかし、この二つの故障を修理したにも関わらずまだ、音声があまりに小さいのです。

   故障が疑われた検波ダイオード            検波ダイオードを抜き取る
 

 そこで、中間周波数回路に変調波を流してみましたが、オシロスコープ上での故障はないようです。そこで、疑われたのは検波部でした。中間周波回路ではちゃんと波形が出ているのに、検波後の波形があまりに小さいです。つまり、正常に検波されていない故障と分かりました。

                中間周波(IF)増幅回路の検波ダイオード故障


 いろいろ調べると、検波ダイオード(1N34A)が解放状態でした。何らかの原因で強い電流が流れて焼き切れたのか、単に製造不良で寿命が早く来たのかも知れません。この故障した検波ダイオードを正常なものと交換することにしました。そこで、故障した検波ダイオードを取り除き、正常な検波ダイオードを取り付けました。

 取り外した検波ダイオード   正常な検波ダイオード  正常検波ダイオードの取り付け
  

 検波ダイオードを正常なものに取り換えると、見違えるようにラジオ放送の音声が大きく出るようになりました。
 トランジスタラジオの故障で1番多いと思うのは接触不良です。例えば、ボリュームのガリや、断線、半田付け不良などです。次に電解コンデンサの容量低下でしょうか。今回は、コンデンサの容量低下故障2ヵ所と素子の故障1ヵ所でした。
 次回は、トラッキング調整するなどして、正常にラジオ放送が受信できるようにしたいと思います。

               ラジオ放送が、大きな音でガンガン入るようになる

今年最後の桃を収穫

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 台風が来ていますが、雨が止んだ時間に桃園に行ってみました。すると、最後に残った桃三つが全て熟していました。雨で濡れていたたためか、桃独特の匂いがあまりしませんでした。でも触ると柔らかいので、熟していることが分かります。これで、今年の桃は終わりです。

    濡れた袋を破ると美味しそうな桃        虫にも食害されておらず良い色
 

 50年位前、父親は桃園を経営していました。初夏になると、私の家族を含め親戚がたくさん集まって桃園がある山に行きました。そして、みんなで分担して桃の幼果に袋がけをしたものです。それは我家の初夏の風物詩でした。お昼になると、桃の木の下に皆が集まりました。そして、重箱を開けて楽しいお昼休憩でした。
 当時集まった親戚はその後、一部は外国に移住したり、他は都会で暮らしています。亡くなった方も少なくありません。あれから永い歳月が過ぎ去りました。残念ながら、もう逢うことはなさそうです。時が過ぎると共に世代が変わり、付き合う親戚がすっかり変わってしまいました。

                  今年最後の桃、夜 美味しく食べました

田布施町 麻郷嵯峨音頭、最後の練習(世界スカウトジャンボリーに向けて)

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 この夏、世界のボーイスカウト達が集まる祭典である世界スカウトジャンボリーが山口県で開催されます。そして、この31日午前にそのスカウト達のうち約40名が、麻郷小学校に来て子供達と交流します。麻郷の昔遊びやプレゼント交換などで交流するそうです。それに加えて麻郷の伝統文化の一つである麻郷嵯峨音頭を一緒に踊ります。そのための最後の練習を麻郷小学校でしました。

  ふるさと会の方々      体育館に集合した生徒達   来校スカウトの出身国紹介
  

 天気が良ければ運動場で練習するのですが、今回も雨のため体育館で練習しました。体育館は狭いため、二組に分けての練習です。練習前、出身国の国旗を使って来校するスカウト達の紹介がありました。スウェーデン,ロシア,日本,それからもう一国です。

    最初一年生が並ぶ    大太鼓が最初に開始       くどきと共に踊りの開始
  

 15年位前、私はボーイスカウトの指導者をしていました。また田んぼなど活動場所の提供をしていました。その頃、確かイギリスで世界スカウトジャンボリーが開催されました。私は行くことはありませんでしたが、日本から数十名のスカウトが参加したように記憶しています。その15年後の今、ボーイスカウトに再び関わるとは思いもしませんでした。我家のどこかに、私が使っていたボーイスカウトの用具や制服が眠っています。

                 体育館すべてを使って、麻郷嵯峨音頭を練習


 練習が終わると、太鼓を叩いた子供達とふるさと会の方々は太鼓などを体育館の外に並べました。その後、ふるさと会の方々と婦人会の方々は、パソコンルームに集まりました。そして、今回の反省や今後の問題などについて会議をしました。会議が終わると、太鼓などを麻郷公民館に戻しました。ところで、スカウト達が麻郷小学校にやって来る31日、私は仕事が入っていました。しかし、ありがたいことに、その日の午前中だけ仕事を交代していただけることになりました。参加できることになりほっとしました。

  太鼓を体育館の外に      今回の反省など、会議   軽トラックで麻郷公民館へ
  

炎天下、サツマイモ畑の草刈り

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 蒸し暑い日が続いています。台風が来ているようですが、直撃するのかどうかまだ分かりません。家にこもっていても仕方がないため、天気を見ては畑の草刈りをしています。今回は、サツマイモ畑の草刈りをしました。5月始めにサツマイモの苗を植え付けしたのですが、だいぶ雑草が生い茂ってきました。

  雑草の中にサツマイモ    片側から少しずつ除草      サツマイモ畑の除草完了
  

 サツマイモ畑の除草は簡単ではありません。雑草の間に、サツマイモの蔓や葉が伸びています。このため、除草するまえにサツマイモの蔓や葉を片側に寄せておきます。そして、除草が終わると、元の位置に蔓や葉を置きます。このようにして、サツマイモを傷めないように最新の注意をしながら草刈りをします。炎天下の除草は大変です。作業途中、日陰で水分を取りながら休みました。

                 除草が終わった、サツマイモ畑と道端


 サツマイモ畑の除草が終わると、もう一手間をかけます。それは、蔓直しと呼ばれる作業です。葉にまんべんなく日光に当たるように、蔓を伸ばして広げるのです。ほっておくと、どうしても蔓や葉が重なってしまうので、この作業は欠かせないのです。去年は、この作業を7月末9月初めに行いました。今年は、あと2回この作業をする必要があります。

                                      蔓直しが終わった、サツマイモ畑

八王子市 堀之内~八王子堀之内里山保全地域ウォーキング(1/2)

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 八王子市の京王堀之内駅から八王子堀之内里山保全地域まで散策してみました。今年始めに歩いた堀之内周辺ウォーキングの逆コースの一部と重なります。堀之内駅を出ると北に向かって歩きました。そのまま行くと北八幡寺芝トンネルに入るのですが、トンネル上にある堀之内北八幡緑地に行きました。トンネルに入らないで、トンネル入口近くにある階段を登って堀之内北八幡緑地に行きました。

堀之内北八幡緑地の入口     左:緑地,右:トンネル     北八幡寺芝トンネル
  

 堀之内北八幡緑地は、緑地は言っても実質は北八幡神社の境内です。20年位前のことですが、この山に登ると間近で史跡の調査をしていました。巨大な団地ができる前に、史跡が無いかどうかの調査をしていました。いくつかの縄文遺跡や弥生遺跡が出たようで、出土物は多摩センター駅近くの東京都埋蔵文化財センターに納められています。

  北八幡神社の石鳥居       北八幡神社の裏山        裏山の展望台
  

 東京都埋蔵文化財センターへは何度か行ったことがあります。センターには出土物の展示室があります。また、広い敷地に弥生時代の建物(竪穴式住居)が数軒再現されています。そして、珍しいと思うのは、当時食べられていたドングリや栗の木が植えられていることです。さらに、当時食べられていたヒエなどの雑穀が畑で栽培されているのです。

        かつて大規模な遺跡調査がされていた場所、今は巨大な団地に変貌


 私も東京都埋蔵文化財センターにならって、郷土館の敷地にわずかな雑穀の苗を植えてみました。今植えているのは、古代から江戸時代にかけて栽培されていた、ヒエ,シコクビエ,ハトムギです。なお、年前、郷土館で古代米である赤米をバケツ栽培していました。
 さて、八幡神社にはいくつかのお地蔵様がありました。八幡神社を見学し終わると、次に
龍生寺阿弥陀堂に行きました。このお堂横にはたくさんのお地蔵様が安置されています。ところで、この龍生寺阿弥陀堂の上の方にある建物には、私がかつて所属していたボーイスカウト八王子第5団の事務所があります。今回、訪れたみましたが平日のためか誰もいませんでした。

   八幡神社のお地蔵様       龍生寺阿弥陀堂      阿弥陀堂横のお地蔵様
  

八王子市 堀之内~八王子堀之内里山保全地域ウォーキング(2/2)

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  阿弥陀堂の見学が終わると、寺芝地区の古道を歩きました。この古道は、人,馬,大八車が通れば十分の時代の道幅です。古道を通っていると、道横に古い道祖神などが次々に現れます。阿弥陀堂に関わる道祖神なのでしょうか。八王子に住んでいた頃、この道を何度も歩きました。懐かしい古道です。

  道端にたたずむ道祖神    人,馬などが通った古道      打ち捨てられた道祖神
  

 いったん舗装された道路に出ると、八王子堀之内里山保全地域に行きました。すると、どこかの団体が田植えをしていました。この田んぼは、私が山口県に戻る直前まで小学生達の田植え体験としてずっと使っていた田んぼです。その団体のある一人に見覚えがありました。よく見ると鈴木亨さんでした。私がこの田んぼを管理していた時、トラクターが田んぼにはまって動けなくなった時に助けていただいた方です。彼に声をかけて、この田んぼ周辺のお話を聞きました。すると、今はFIOと呼ぶ農業団体で田んぼを管理しているとのこと。そのFIOの方々とも談笑しました。

                久しぶりに談笑した鈴木亨さんと私


 鈴木さんとの付き合いは、彼の父親である故鈴木昇さんとのお付き合いからです。私が今山口県で使っているトラクターは元々故鈴木昇が使っていたものです。昇さんが亡くなった時、息子である亨さんからいただいたものなのです。私は、このトラクターをトラックに載せて東京から山口県まで運搬しました。そして今、このトラクターを自分で修理しながら使用しています。

   FIO主催の田植え        田植え完了の田んぼ      懐かしいユギの畑
  

 ところで、田植え会場の田んぼを出ると、ユギ里山保全チームの畑に行きました。残念ながらメンバーは誰もいませんでしたが、じっくりと畑の野菜を見ました。野菜が、とても立派に育っていました。山口県に帰る直前まで、私が仲間と一緒にこの畑を管理していました。今こうして、綺麗に野菜が作られているので安心しました。この畑から、眼下に田んぼを見下ろしました。この田んぼにもいろいろ思い出があります。この田んぼは、主に女子大学生の米作り体験のための田んぼでした。田んぼ脇にトチの木があります。私が種をまいた育てたトチの木です。ずいぶんと大きくなっていました。

       ユギの畑から田んぼを見下ろして、左の樹木は私が育てたトチの木

上関町 上関水軍まつり 2015 に参加して

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 とても忙しい一日でした。午前中は、田布施西小学校の工作室で発明クラブ指導をしました。私が指導している子供2人と一緒に、アイデア工作を作りました。一緒に作りながらの指導です。怪我をしないように、特に電気ドリルや電機糸鋸は注意して見守りました。子供達にとって、2時間近く集中して工作するのは難しいようです。なだめすかしながら,激励しながら,そして根気よく指導しました。8月中にはなんとか完成しそうです。

    久しぶりの四階楼      四階楼向かいが会場    上関水軍まつりののぼり
  

 ところで早朝、冷蔵庫から牛乳を取り出して飲もうとしました。ところが、牛乳が生暖かいのです。おかしいなと冷蔵庫を調べると、なんと冷えていないのです。野菜室と冷凍庫は正常なのですが、冷蔵室が故障です。発明クラブが終わると、郷土館で昼食を取った後、電気屋さんに行きました。そして、在庫があり、今と同じ容量の冷蔵庫を購入しました。故障した冷蔵庫はこれまで散々故障して困らされました。このため、故障したメーカーではないメーカーの冷蔵庫を選びました。

               上関水軍まつりの会場、お店が賑やかに並ぶ


 冷蔵庫を購入すると、上関町で開催されている上関水軍まつりにバイクで向かいました。最初、四階楼を久しぶりに見ました。四階楼を最後に訪れたのは、2年前に家内と一緒に行った時です。今回は上関水軍まつりを目的に来たため、周りを回って外から建物だけを見学しました。

 会場に掲示された上関水軍まつりポスター   上関水軍まつりうちわとアイスクリーム
 

 上関に着いたのですが、とても暑かったため、道の駅でアイスクリームを食べました。その時、たまたま隣に座っていたお年寄りとお話をしました。すると、その方は今は平生町沼近くに住んでいるのですが、田布施町の竹尾出身の方でした。アイスクリームを舐めながら、その方といろいろお話をしました。その方が竹尾に住んでいた昭和20年頃、竹尾小学校の裏山が崩れたことあったそうです。その後しばらくして、小学校は今の田布施西小学校に統合されたそうです。その方が中学生だった頃、田布施中学校に竹尾から歩いて通ったそうです。今は自転車通学ですが、かつては徒歩だったのですね。

               お客様と談笑している田布施町観光協会の方々


 アイスクリームを舐め終って上関総合文化センターに行こうとすると、お話をしたお年寄りが「一緒に行って見たい。」とのこと。足が少しお悪い方でしたが、何かの縁ですので私がエスコートしました。入場口に着くと、開演まで15分程度待たされるとのこと。そこで、田布施町観光協会のお店に行きました。そして、談笑しながら待機することにしました。私はそこでラスクを購入しました。

    開演前のステージ     相互保育園の太鼓演技  相互保育園のフラダンス遊戯
  

 開演するとすぐに、会場に入りました。良く見えるように前の座席に坐りました。最初は、地元の保育園生による太鼓演技でした。保母さんが鐘を鳴らしながら、演技を誘導していました。続いて、同じく保育園生によるフラダンスでした。私の周りに坐る方々は「やっぱり、女の子の方が踊りがうまいねえ。」などと言って、声援を送ったり拍手していました。
 続いて小学生高学年生による太鼓でした。保育園生を見た後でしたので、さすがに上手に太鼓を叩いていました。小学生の太鼓演技が終わる頃、16:30を過ぎていました。17:00までには家に帰りたいため、残念ながら次の韓国伝統文化団やその次のフラダンスを見ることができませんでした。上関総合文化センターを出ると、夕日を浴びながら我家に向かってバイクを飛ばしました。

               元気いっぱい!上関小学校生徒による上関水軍太鼓


平生町 楽しかった佐賀ウォーキング(1/4)

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 先月下見をした平生町の佐賀地区をウォーキングをしました。台風の影響で早朝まで小雨が降っていました。このため、ウォーキングを中止にしようか直前まで迷いました。車で集合地点に向かっている時も、時おり小雨が降ってきました。ところが、9:30に集合した時からにわかに天気が回復してきたのです。中止にしなくて本当に良かったです。

 佐賀公民館をスタート        地元の盆踊り会場      八幡社の石鳥居と階段
  

 集合したのはJAみなみ周防平生支店です。最初の計画では、ここから夫婦松まで車で行って、夫婦松から佐賀公民館までウォーキングする予定でした。しかし、昼食場所,休憩場所,そしてトイレを考えながら下見をした結果、逆の佐賀公民館から夫婦松までウォーキングするコースに変更しました。結果的にこの変更は正解でした。

   八幡社のお社         旧佐賀小学校の講堂       旧佐賀小学校の石碑
  

 佐賀公民館をスタートするにあたり、岩田遺跡について説明しました。ここの縄文遺跡で発見されたどんぐりの貯蔵庫について、関東地方の縄文遺跡などとの関連性なども説明しました。稲作が伝わっていない古代、どんぐりは美味しくはなくても貴重な食べ物だったのでしょう。この地域は古代、海や山の幸に囲まれた豊かな地域だったのではないかと思います。

               白鳥神社はちょうどお祭り、のぼりがたなびく


 佐賀公民館を出ると、麻郷や麻里府などと同じ嵯峨音頭を踊る会場を通りました。麻郷嵯峨音頭との違いを知りたいものです。次に、八幡社に行きました。石鳥居をくぐり、長い石段を登りきるとお社があります。お社前の広場は、綺麗に掃かれていました。

   白鳥神社の石階段       白鳥神社の拝殿         お祭りの飾り付け
  

 続いて、白鳥神社に行きました。ちょうどお祭りの日だったようです。神社の境内にのぼりが数旗立ててありました。風が強かったので、のぼりがたなびく音が聞こえました。大きな石鳥居をくぐった後、長い境内を白鳥神社に向かいました。途中、旧佐賀小学校の講堂がありました。今は何に使われているのでしょう。そして、その近くに旧佐賀小学校跡の石碑がありました。

                 白鳥神社の拝殿内、いろいろな提灯が並ぶ


 白鳥神社に着くと、石階段を登って拝殿に向かいました。下見の時は入れませんでしたが、お祭りのためでしょうか拝殿内に入ることができました。内部はとても綺麗にしてあり、天井にはこれまで寄進した方々の名前やお祭りの写真などが飾られていました。

    前方部の石鳥居        白鳥古墳の側面部       宝暦年号のお地蔵様
  

 白鳥神社のお詣りを済ませると、白鳥古墳の周辺を歩きました。白鳥神社は白鳥古墳の後円部のほぼ中心にあります。白鳥神社の拝殿から古墳の前方部に降りました。そして、古墳の側面を歩きました。側面の小山が古墳なのです。歩いていると、今は小山に変貌していますが、かつては巨大な古墳であったことを実感できます。なお、この白鳥古墳は山口県と広島県で一番大きな古墳とのことです。

                   今回ウォーキングした平生町佐賀

 

 

 

平生町 楽しかった佐賀ウォーキング(2/4)

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 白鳥古墳を半周して、白鳥神社の境内に戻りました。次に、白鳥神社のすぐ隣にある心光寺に行きました。白鳥神社から1分の場所にある趣のあるお寺です。ありがたいことに、下見の時に見学させていただくことをご了解いただきました。お寺の門をくぐるとご住職様が待っておられ、すぐに本堂に上らせていただきました。

   隣の心光寺へ移動        珍しいナギの木       矢印は仏様に繋がる紐
  

 お話をお聞きすると、このお寺はかつて真言宗だったそうです。本堂の西側にあるお堂は、お大師様をかたどったお地蔵様が安置されています。なお、お堂ができる前は、外に置かれていたとのこと。また、本堂に張られた紐は、本堂に安置されている仏様に繋がっているそうです。本堂の出入するときなど、この紐に触れると仏様に通じるのだとか。ジュースなどのお接待、本当にありがとうございました。

          心光寺本堂に上らせていただき、ご住職様のお話を拝聴


 心光寺を出る時、珍しいナギの枝をいただきました。挿し木すると根付くようですので、我家に帰って植木鉢に2本挿し木してみようと思います。根付けば我家のどこかに植え替えしようと思います。ナギの葉は模様がとても独特です。一度見れば忘れない葉脈です。

 陸橋を歩いて県道を渡る    はくとり稲荷大社の鳥居     はくとり稲荷大社
  

 心光寺を出ると、県道を横切る陸橋を渡りました。陸橋から佐賀小学校がよく見えました。私が小学生の頃、一度佐賀小学校に来たことがあります。まだバス停が白鳥神社の大鳥居近くにある頃のことです。横断歩道を渡り終えると、次の訪問地であるはくとり稲荷大社に向かいました。舗装されたゆるやかな坂道を登っていると、朱色の石鳥居が見えてきました。その鳥居をくぐると、はくとり稲荷大社です。

          信者の方々の家紋を天井にあしらった拝殿、とても荘厳


 はくとり稲荷大社の宮司様の奥様は、私の高校時代の同級生です。当時挨拶ぐらいは交わしたのでしょうが、今となっては彼女の面影ぐらいしか覚えていません。彼女のお父様がこの神社を創建されました。立派なお父様だったに違いありません。宮司様のご厚意で拝殿に上らせていただきました。ありがとうございました。

                 今回ウォーキングした平生町佐賀  

平生町 楽しかった佐賀ウォーキング(3/4)

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 はくとり稲荷大社を出ると、次の訪問地である龍護寺に向かいました。途中、ため池1を通り過ぎて、ため池2に寄りました。飼われているのでしょうか、ため池2には鯉がたくさん泳いでいました。持ってきたパンの切れ端を小さく刻んで池に投げ入れました。ふだん餌をやる人がいないのか、なかなかパンに気が付かずうろうろと回っていました。パンの切れ端に気が付いて一匹が食べると、周りの鯉が狂ったように飛び跳ねました。

  はくとり稲荷大社を出る       ため池2に到着      パンの切れ端を投げる
  

 餌を食べる色とりどりの鯉を見た後、龍護寺に向かいました。たくさんのお地蔵様が安置された坂を登りきった場所にお寺がありました。お寺のご厚意により、この場所でお昼休憩させていただきました。ありがとうございました。さわやなか風が吹き通る木陰で、昼食を取りつつ疲れを癒しました。

   龍護寺の入口階段      本堂前で涼みながら休憩     龍護寺から見た海
  

 下見時には龍護寺の裏山にある八十八ヶ所のお地蔵様を巡礼しました。しかし、今回は道が分からないほどに草が茂っていました。この付近はマムシがたくさん出るようですので、今回は時間も迫っていたこともあり巡礼は止めました。その代り、龍護寺から佐賀地区街方面の景色を楽しみました。

               さわやなか風が吹き通る木陰で、昼食休憩


 お昼休憩が終わると、次の訪問地に向かいました。刺すような日差しの中、坂道をどんどん登っていきました。途中、善福寺を通り過ぎました。計画時には善福寺を訪問する予定でしたが、法事が入ったとのことで訪問できませんでした。代わりに、近くのため池3で咲き乱れる綺麗なホテイアオイを観賞しました。

   善福寺への坂道       善福寺前の坂道を登る       ため池3のほとり
   

 吹き寄せられたのか、ため池3はホテイアオイでだいぶ埋め尽くされていました。ホテイアオイは、場所によってはため池を埋める困った雑草です。しかし、絨毯のように咲き乱れた紫色の花はとても綺麗でした。

            ため池を絨毯のように埋め尽くし、咲き乱れたホテイアオイ


 ホテイアオイの花を観賞すると、再び坂道を登りました。最初の予定では大段地区のお地蔵様前を歩いて大星山方面に向かう予定でした。しかし、極楽寺に寄ってから大星山方面に向かうコースに変更しました。照り返しが強い舗装道路の坂道を、極楽寺に向かって登りました。

                   今回ウォーキングした平生町佐賀

平生町 楽しかった佐賀ウォーキング(4/4)

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 善福寺前の舗装道路をどんどん上へ登りました。途中、大段方面へ行く道と極楽寺へ行く道とに分かれます。当初予定では大段方面でしたが、今回はコース変更して極楽寺へ向かいました。極楽寺は下見した2回共に、ご住職の奥様がおられました。今回も奥様にご挨拶し、本堂に上らせていただきました。ありがとうございました。

 向こう:大段,手前:極楽寺    極楽寺から門を見て       立派な本堂内部
  

 極楽寺本堂内は直射日光が当たらないので、とても涼しかったです。龍護寺からほとんど休憩なしでしたので、額から汗が噴き出ていました。綺麗に掃き清められた庭や海を本堂から見ながら休憩しました。ここから見下ろした海はなかなかです。正面に佐合島があり、右に馬島、左に長島、正面に牛島、そしてその向こうに祝島が見えました。

               ウォーキング参加者(12名)、極楽寺本堂前にて


 極楽寺本堂を見学した後、しばらく休憩すると次の目的地に向かいました。極楽寺を出ると、大星山に向かう道を登りました。林間の登り道を歩いていると、無数の木漏れ日が地面にばらまかれたよう照っていました。その木漏れ日を踏むように歩きました。しばらく歩いていると、下見時にマムシに出会った場所に出ました。

    木漏れ日の登り道      マムシに出会った場所     もくもくと山道を歩く
  

 ここから、最終訪問地の夫婦松まで林道を延々と歩きました。今回のウォーキングで一番長い距離です。痛いほどの直射日光でしたが、道の周りには高い樹木が茂っていたため日陰の中を歩きました。木が茂っていたため展望はなく、1人で歩けばつまらない道です。しかし、みんながワイワイ雑談しながらの楽しい道のりでした。

              最終訪問地の夫婦松、巨大な雄松と雌松を見学


 極楽寺から40分位は歩いたでしょうか、暑い中を歩いていると木々を通してハートランドひらお運動公園が見えてきました。さらに歩いていると、スポーツレクリエーション公園が見えてきました。夫婦松はすぐそこです。
 夫婦松に着くと、この松について説明しました。江戸時代にはすでに名所となっていましたが、残念ながら昭和30年代に松くい虫によって枯死しました。その後、スタートした佐賀公民館に戻りました。参加された方々、暑い中お疲れ様でした。

                   今回ウォーキングした平生町佐賀

ブラックベリーの収穫を始める

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 一昨年苗を植えたブラックベリーがようやく収穫できるようになりました。去年は、数粒だけの収穫でしたが、今年は次々に実を収穫しています。世話いらずで、春にたくさんわいた尺取虫を蚊用のスプレーで退治した程度です。あまりにたくさんの実が成るので、木が弱らないか心配です。

                 色が赤から黒くなると収穫できるブラックベリーの実


 私が子供の頃にもブラックベリーを栽培していました。その時のブラックベリーは野生種だったのか、茎にトゲがたくさん生えていました。そのため、庭にびっしり育つと手に負えません。栽培を止めたのですが、野生化して山や畑に蔓のように生えました。そのため、カマで刈り取って絶えさせました。

    黒い実を摘まむ         ポロンと実が採れる     次々に実が熟す
  

 トゲが生えているため扱いずらいブラックベリーでしたが、ジュースにした黒い実はとても美味しいです。今はトゲがない栽培品種を育てています。ブラックベリーの欠点は、実の一粒一粒に小さな種があることです。口に入れてつぶした後、種を吐き出さなければなりません。このため、実をそのまま食べるよりもジュースにして飲むのが一番の味わい方です。好みに応じて少量の砂糖を入れると飲みやすくなります。ジャムにすることもできるそうなので、時間があればジャム作りにもトライしてみようと思います。

               収穫したブラックベリーの実、たくさん集めてジュースに

田布施町 城南 宿井ウォーキングの下見

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 9月に行う予定の田布施町城南ウォーキングの下見をしました。当初は、一日で城南全てを歩いて下見するつもりでした。ところが、すべてを歩くと、30km位歩かなければならないことが分かってきました。そのため、城南の東側を下見してみました。実際に歩いてみて、それでも城南東全てを歩くことができないことが分かりました。城南は思っていたより面積が広いようです。

  周善寺前のお地蔵様       周善寺に到着           牧場に一頭の馬
  

 スタートは城南公民館です。10時に歩き始めて、最初に周善寺に向かいました。周善寺は江戸時代は庵でしたが、明治時代になってからお寺になりました。古刹を思わせる塗り壁はとても趣があります。私の好きな風情です。続いて、牧場の横を通って時貞の観音堂に行きました。この観音堂は、かつては立派なお堂だったそうです。一時廃バスに中にお地蔵様がありましたが、今はコンクリート作りの小さなお堂です。

    時貞の観音堂         小山の上の荒神様         宿井のお地蔵様1
  

 時貞の観音様を過ぎると、小山の上にある荒神様に行きました。荒神様を見学していると、地元にお住まいのMさんが来られました。そこで、荒神様についていろいろ教えていただきました。ありがとうございました。荒神様がある山を下りると、宿井団地のF酒店に行きました。そこで、同級生のFさんに会いました。談笑後、宿井団地の公園に行って昼食休憩をとりました。

                  宿井団地北端にある田村知義の顕彰碑


 その後、御蔵戸古墳を見学する予定でしたが、時間が迫っていたため止めました。次に、宿井のお地蔵様2体と田村知義の顕彰碑に行きました。顕彰碑は田布施でも一二を争うほどの立派な石碑です。幕末奇兵隊にいた方で、明治時代に城南村の初代村長になった方です。続いて、天行居近くの大鳥居残骸を見ました。数十年前に工事中に誤って壊された巨大な石鳥居の残骸です。かつては、その下をバスが通っていたそうです。

   宿井のお地蔵様2       巨大な石鳥居の残骸     別所薬師堂のお地蔵様
  

 大鳥居の残骸を過ぎると、宿井の別所に行きました。そして、石城山麓にある別所薬師堂に行き、その隣にある荒神様を見学しました。近くの家を訪問して、この薬師堂で旧暦8日に観音講があることを知りました。まだお念仏をする地区あることが分かり嬉しくなりました。次の旧暦8日に再訪することにしました。

                 宿井の天行居の拝殿内に上らせていただく


 別所から戻る途中、天行居に立ち寄り拝殿を見学させていただきました。ありがとうございました。次に、古い墓地の隅にある光喜庵に寄りました。光喜庵にはかつて尼さんが住んでいたそうです。お堂の中に尼さんと分かる位牌が二つ並んでいました。

    光喜庵を見学          富永有隣の顕彰碑      富永有隣の墓地
  

 光喜庵を出ると、ため池横を通って再び宿井団地に戻りました。そして、F酒店に寄って雑談しながら休憩しました。休憩させていただきありがとうございました。続いて、瓜迫の富永有隣顕彰碑に行きました。その巨大な顕彰碑と隣りの末岡精一の顕彰碑も見学しました。末岡精一は富永有隣の義甥に当たります。次に富永有隣の墓地を見学した後、スタート地点の城南公民館に戻りました。とても暑い一日でした。

                   田布施町城南宿井のウォーキングルート

田布施町 城南 宿井 別所薬師堂、荒神様他

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 田布施町 城南 宿井の別所薬師で、お大師講が旧暦8日に行われるとのことで当日見学させていだきました。突然伺ったため緊張しましたが、快く見学を受け入れていただきました。ありがとうございました。お堂でのお念仏は、佐賀の大田大師堂でのお大師講以来です。宿井の別所でも続いていることを知って驚きました。

               旧暦8日にお大師講が行われている別所薬師堂


 見学するだけでは失礼なので、私はご詠歌などが書かれている「おつとめ冊子」を持っていきました。また鳥越お大師講のおつとめ冊子も持っていきました。ところで、今回参加された地元の方は3名でした。私を含めて見学者4名でした。計7名でおつとめ(お念仏)をしました。佐賀のお大師講では鐘をたたきました。別所薬師堂ではかつては叩いたそうですが、今は叩かないそうです。

    地元別所の方々        見学者4名もおつとめ    とても古い在家勤行法則
  

 別所薬師堂の隣りには、三つの祠があります。下写真の左から荒神様,地鎮様,お稲荷様。このうち、荒神様とお稲荷様は江戸時代の記録にありますので、別所薬師堂共に少なくとも200年前からあったことになります。別所は石城山麓にあるため、石城神社と関わりがあるようです。実際、別所は田布施町ですが、お祭り時には塩田の神主さんがお祓いに来るとのことでした。
 江戸時代、田布施村は上関宰判の管轄内にありましたが、宿井村と塩田村は熊毛宰判の管轄内にあった関係だと思われます。

               左から荒神様,地鎮様,お稲荷様の三つの祠


 おつとめが終わると、お接待をみなさんで分けました。私もいただきありがとうございました。その後、近所にお住まいのNさんの家に立ち寄りました。そして、思いがけなくトケイソウとジャスミンの鉢をいただきました。なお、私が小学2年生時担任の故藤田スマ子先生の家が、Nさんの家のすぐ傍にあることを知りました。故藤田先生は私の母親と同僚だった関係でしょうか、当時絵本(確か「家なき子」)をいただいた事を覚えています。とても穏やかで優しい先生でした。故藤田先生は戦後朝鮮から引き揚げてくるなど苦労したそうです。故藤田先生の息子さんに私の同級生のMさんが嫁いでいます。
 9月末に別所薬師で湯立てのお祭りがあります。見学させていただこうと思っています。偶然とは言え別所薬師にご縁ができて、とても嬉しい気持ちになった一日でした。

 お接待をみなさんに配る    Nさん宅に伺う     トケイソウ他いただき感謝
  


田布施町 城南 宿井の市周辺の史跡を散策

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 別所薬師堂の次に、宿井の市に行きました。そして、元町長のK氏にお逢いしました。この周辺のお堂や石碑などの史跡について教えていただくためです。
 最初に奇兵隊士だった田村知義の石碑について教えていただきました。その時、面白い逸話をお聞きしました。K氏の御尊父は明治15年生まれで、子供の時に富永有隣に逢ったことがあるとのこと。年寄り二人に連れられて行き、有隣に田村知義の碑文を考えてもらおうとしたそうです。すると有隣は「死んでもいないのに碑文は書けない。」と断ったとか。変わり者の有隣だったそうです。なお、富永有隣は明治33年に、そして田村知義は明治34年に亡くなっています。田村知義は初代宿井村長になりましたが、有隣はいっさい官職につきませんでした。
       
     田村知義の石碑を説明するK氏          道の反対側に移設した戎様
 

 田村知義の石碑の台座は、不安定だったため取り替えたそうです。取り替える前の台座が石碑の傍においてあります。そして石碑近くにある丸い石二つが置かれた石室は、戎様だそうです。かつては道の反対側に置かれていたそうです。また、宿井の下市と上市のそれぞれに安置されたお地蔵様2体は「火避け地蔵」であることが分かりました。昔、この付近で火事が絶えなかったために安置されたとのこと。また、紙芝居に出てくる「・・・・お抜かれごすん」の民話にかかわる神事で、神輿を置いた御旅所についても教えていただきました。さらに、この近くに観音堂とお寺があったそうです。

     光喜庵の説明        棺桶を置いた石         田村知義の墓地
  

 続いて、K氏と一緒に光喜庵に行きました。この庵には昭和15年まで尼さんがいたそうです。尼さんの生活の糧などについて、いろいろ教えていただきました。お爺さんやお婆さんが亡くなった家に、葬式後毎月のように尼さんが拝みに行ったそうです。拝みに行く家のリストがあったとか。その時に一合程度のお米をもらっていたようです。そして、そのお米をお金に換えて生活していたそうです。私が記憶にある尼さんは、頭などの悪い所を撫でまわしながら祈っていました。その時、一緒に行った祖母が尼さんに何か渡していたように記憶しています。昭和30年代のことです。
 宿井の史跡について他にもいろいろ教えていただいたK氏に感謝します。ありがとうございました。

             宿井の史跡について教えていただいた元町長K氏(中央)

夏の草刈り、水分補給しながら

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 台風が来る直前、麦跡の草刈りをしました。先月の麦の刈取りから1.5ヶ月経ち、麦跡は雑草が生い茂っています。天日干し中の麦は、天候が悪くて今だに脱穀できません。雨が当たらないようにビニールシートを掛けていますが、麦の品質が少し落ちているのではないか心配です。今回、麦を触ってみましたが大丈夫のようで安心しました。とにかくこの畑を数日がかりで草刈りをします。その後、麦の脱穀をします。

      小麦の刈取り後、雑草がびっしり          雑草を2/3ほど刈取り
 

 麦跡程度の広さの畑は、頑張れば一日で草を刈取ることができます。しかし、暑い夏ですので熱中症に注意しなければなりません。30分刈っては15分休憩しながらと、のんびり作業することにしました。私は、チップソーで刈取りするよりも紐で刈取りことが好きですので、よけい時間がかかります。休みを多く取り、疲れが残らないように気をつけています。

              麦跡をほぼ全部刈取りして、気分スッキリ!


 麦跡の雑草の刈取りが終わると、サツマイモ畑そばの雑草を刈取りました。ここは雑草の背が低いので刈取りし易いのですが、草刈機の紐が地面の小石をすくって飛びます。このため小石が手や腕に当たりました。午後4時頃草刈り作業を終えました。次日は残った雑草を刈取りしようと思います。

     サツマイモ畑隣りの雑草             低い草を刈ると小石が飛ぶ
 

今日も、休憩を取りながら草刈り

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 台風が過ぎて、しばらくは雨が降ることはなさそうです。そのため、ずっと休まざるをえなかった草刈りを続けています。今回は、麦跡隣の畑です。しばらくしないうちに、ここも雑草が生い茂っていました。しかも、宿根性の雑草なのでしようか、根元から硬そうな葉が伸びています。チップソーを使って刈った方が早く刈取りできるのは明らかなのですが、紐を使って念入りに刈取りしました。

   刈取り前:茂った宿根性の硬い雑草     刈取り後:耕耘しやすいよう紐で刈取り
 

 私がチップソーで刈取りをするのは、笹や細い木を刈取りする時です。ほとんどは紐で刈取りしています。チップソーで刈取りすると、早く刈取りできるのは良いのですが、草が長いままですので後で耕耘する時にロータリー刃に巻き付いて往生します。耕耘を考えると、時間がかかっても紐で刈取りことが私にはベストなのです。

    刈取り前:左は昨日刈り取った場所       刈取り後:紐で綺麗に刈取り       
 

 さて、天気予報によると今後はしばらく晴れの見込みです。ようやく、天日干ししていた小麦が脱穀できます。去年も今頃麦の脱穀をしました。明日は、脱穀機,発動機,平ベルトなどをこの畑に持ち込みます。どの機械も重いため、半日かけて運び込みます。そして、ためし運転をしようと思います。博物館に収めてもよいような骨董機械ばかりです。暑い夏だけに、無理しないでのんびり作業しようと思います。

               ここに、小麦の脱穀をするための機械を搬入

枝豆と小豆の種まき準備、そして小麦の脱穀準備

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 台風が過ぎ去って、連日猛暑日が続いています。猛烈な暑さですが、雨を心配しなくてよくなりました。ようやく農作業が一日中できる日々がやってきました。今回は、天日干し中だった小麦を脱穀する準備をしました。そして、種まきがなかなかできなかった枝豆と小豆の種まき準備をしました。

             枝豆と小豆の種まきをする畑を、トラクターで丁寧に耕耘


 まだ湿っている小麦跡をトラクターで丁寧に耕耘しました。ここに枝豆と小豆の種をまきます。耕耘が済むと、小麦を脱穀するための機械を小屋から運び込みました。最初、ベルトで駆動する脱穀機を運び込みました。この脱穀機は農業を廃業する方からいただいたものです。何度もメンテナンスしながら使い込んでいます。骨董品に近いため、何年もだましだまし使っています。続いて、とても重い発動機を運び込みました。脱穀機,発動機,そしてベルトがあれば小麦を脱穀します。今年の小麦は、去年よりは収量があると思います。作業中、時々水分補給のための休憩を取りました。真夏の農作業は辛いです。

   黄丸:運び込んだ脱穀機               枝豆と小豆の種まきをする畑
 

田布施町 麻郷 今日も麻郷嵯峨音頭,田布施音頭の練習

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 麻郷ふるさと会で盆踊りの練習をしました。太鼓はほぼ完成したので、今回は最初に踊りの練習をしました。初めて踊る方も参加しての練習でした。kさんが踊りの見本を見せた後、それを参考に見よう見まねの練習です。私は一昨年,去年と、練習に参加してきたので、完璧ではないにしても踊ることができました。

     最初、kさんが踊りの見本             太鼓に合わせて嵯峨音頭の練習
 

 世界ジャンボリーで披露するため、今年は麻郷嵯峨音頭を例年になく何度も練習しました。このため、子供達の叩く太鼓もだいぶ板についてきました。テンポのずれも少なくなりました。安心して見ることができるようになりました。
 今回、もう一つの盆踊りの練習もしました。それは、田布施音頭です。田布施町のために作った盆踊りなのですが、今や踊っているのは麻郷と西田布施だけと聞きます。どうして、踊られなくなったのか不思議です。やや踊りが難しいからなのでしょうか。

      田布施音頭を歌う子供達           田布施音頭の太鼓を叩く子供達
 

 以前、田布施音頭のCDを聞かせてもらったことがあります。大人が演奏して大人の歌手が歌っていました。時代が移り変わった今、大人が太鼓を叩いたり歌うことが少なくなりました。麻郷の場合、かつては青年団が盆踊りをしていたそうです。地域文化の一端をになっていた青年団、今は解散してありません。この例のように、地域の文化をになう青年がいなくなりました。これらのことが、田布施音頭がすたれた原因の一つかもしれません。麻郷の場合、麻郷ふるさと会がなんとか引き継いでいます。未来は決して明るいものではありません。がしかし、遠くない未来、今太鼓を叩いている子供達にかすかな期待をいだいています。

            田布施音頭、子供達が太鼓を叩き大人が踊りを練習


 盆踊りの練習が終わると、いつもはそのまま解散です。今回は子供達を集めて、31日に麻郷小学校で開催される世界ジャンボリーでの注意事項や確認がありました。いつ集合するか、いつどこでハッピに着替えるかなどの確認です。6年生などの高学年生は、低学年生の世話をすることなどの申し合わせもありました。

          最後に子供達を集めて、世界ジャンボリーでの演奏時の確認事項

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