次に、明神社入口に到着しました。明神社とは浮島神社のことです。浮島神社がある川添地区は、江戸時代初期に移住してきた数軒の家が始まりとの記録があります。まず最初に、川添氏が当時海だった場所を干拓したことが始まりです。川添地区と高塔地区の間に広がる田んぼが干拓地です。潮が入らないように築いた土手が今の田布施川堤防として残っています。その土手と竪ヶ浜の間がまだ海だった頃の話です。
50.明神社入口 51.戸村氏前 52.小野崎氏前
明神社入口を過ぎると、いったん通り過ぎた戸村氏前に行きました。10人位の方々が神幸を待っていました。次に旭地区に戻りました。そして、小野崎氏前に着きました。続いて高塔地区に行きました。中本商店前には20人位の方々が待っていました。到着すると、総代の方々が榊に水を浸けて方々に振りかけたり、初穂料を受け取るなどしていました。
53.中本商店前 54.八海竹本氏前 55.弘中氏横
高塔地区を過ぎると田布施川沿いの八海地区に入りました。最初に竹本氏前に行きました。犬を飼われている方が一人待っていました。次に国道188号線傍の弘中氏横に行きました。そして、国道を渡り吉井氏前に行きました。田布施川堤防傍に10人位の方が待っていました。この頃になると日が少し傾いてきました。そのためか、暑さも少し和らいできました。
56.八海吉井氏前でお祓いを受ける方々
続いて八海地区最後の金田氏前に到着しました。残念なのは、近くで若者5,6人が遊んでいたことです。たかだか5分程度で済むのでお祓いを受ければ良かったのにと思いました。たまたま帰省していて神幸に気が付かなかったのかも知れませんが。次に鳥越地区に入りました。最初に増野氏前に着きました。この地区は、老若男女、小中学生などもいて幅広い年齢の方々が集まっていました。続いて、同地区の小川氏前に着きました。これが午後の部の最後の御旅所です。
57.金田氏前 58.増野氏前 59.小川氏前
鳥越地区を過ぎると麻郷公民館に到着しました。到着すると、お神輿は軽トラックから公民館内に移されました。そして、これまで御神輿を運んでいた軽トラックは幌などを解体しました。麻郷公民館は夜宿となり1時間半程度休憩です。
麻郷公民館到着、御神輿を館内に 軽トラックの幌を解体
夕方7時半からお迎え提灯の始まりです。少し時間があったのと、デジカメのバッテリーを充電をするためにいったん我が家に帰りました。ところで、お迎え提灯は京都ではより盛大に開催されます。いつ、麻郷にこのお祭りが伝わったのでしょうか。明治時代には記録があり、今より盛大だったようです。今は麻郷公民館からスタートしますが、かつてはそれぞれの地区からスタートしたようです。各地区のお神輿は、麻郷公民館近くの麻郷郵便局で合流しました。合流後一緒に、高松八幡宮に向かったのです。血の気の早い若者が中心だったので、互いのお神輿をけなしあうなどして喧嘩が少なくなかったとか。
高松八幡宮夏祭り御神幸のコース
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田布施町 高松八幡宮 夏祭り 御神幸とお迎え提灯 2017(7/x)
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