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Channel: 東京里山農業日誌
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金魚ちょうちん祭り、柳井市街散策(2/5)

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 本橋を過ぎて、柳井津方面の道を歩きました。この付近も昔とすっかり変わってしまい。道を迷いそうになります。この付近は50年前、とても賑やかだったことを思い出します。今では柳井駅の西側が賑やかになっていますが、50年ほど前の柳井駅西側は田んぼが広がり柳井高校がポツンと1つあるだけのさびしい所でした。もっと昔は田んぼではなく塩田だったようです。隔世の感があります。

                  本橋から数百メートル柳井津方面へ行った道


 道を歩いていると、賑やかな声が聞こえてきました。道は往時の賑やかさがありませんが、声だけ賑やかなのでちょっと不思議な光景です。その賑やかな声の方に行ってみると、子供たちが金魚すくいのようなもの(カラーボール)をやって楽しんでいました。金魚ちょうちん祭りに合わせた地域のお祭りのようです。この頃に雨が降ってきたので傘をさしました。

   金魚すくいのように小ボールをすくう    地域のお祭り、大人や子供がたくさん
 

 地元のお祭りを過ぎると、旧「丸久」があった場所に来てみました。50年ほど前、丸久はこの場所にありとても賑やかだったことを思い出します。食料品はここにあった丸久で買い、日用品やお土産は本橋近くの店で買うのが常でした。そして、両手に買物袋を持って柳井駅から防長バスに乗って家に帰ったものでした。

     旧「丸久」があった場所            シャッター街だった新天地
 

 旧「丸久」があった場所からさらに東に向かうと法務局があります。その途中は、まさにシャツター街となっていました。私が子供の頃の新天地には映画館もありました。柳井には3か所位の映画館があったのに、いつから映画館が無くなったのでしょう。年に何度か映画と見るためだけでも柳井に来ていました。私の記憶にある柳井が次々に無くなっています。寂しいことです。

             ここもすっかりシャッター街になっていた柳井津街の通り


 柳井津はとても古い街です。古代においては、大畠-柳井-田布施-平生に至る海の中継地ではなかったかと想像します。そもそも当時は今の柳井川が海岸だったようです。古代は、田布施の方が中心で朝廷の支配が高まるにつれて柳井が中心となっていったようです。古墳の位置,形,製造年から推測されます。
 ところで、私が高校生になる時、初めて腕時計を買ってもらいました。その腕時計を買った福田時計店、まだ店はありましたがシャッターが降りていました。市役所方面に移転したとの書付が貼ってありました。また、そのから数十メートル先の青木商店は残っていました。しかし、私が当時このお店で買っていた、模型,モーター,模型,エンジン,電子部品などは置いてありませんでした。普通の文房具店になっていました。

     シャッターの降りた福田時計店         昔よく行った青木商店
 


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