快晴の秋晴れの中、柳井市余田の史跡巡りウォーキングをしました。田布施交流館に9:30集合し、数台の車に乗り合わせて名合八幡宮傍の駐車場に車を停めました。しばらくすると、柳井市の方々が次々に直接に名合八幡宮に来ました。10時になると出発です。最初に旧余田公民館に向かいました。この旧公民館は使われていませんが、和洋折衷の建物遺産にしてよいのではないかと思います。取り壊される建物が多い中、なんとか保存できないかと思います。
名合八幡宮参拝のため、参道を社殿に向かって進む
旧余田公民館を見終わると、すぐ隣に建っている租税完納塔を見学しました。余田地区は昔から豊かだったようです。幕末期に田布施から光市周辺にかけて起こった米騒動時にも、余田地区はちゃんと年貢を納めたそうです。田んぼは広く、水も豊かだったのだと思います。租税完納塔を見学し終わると、200m以上はある名合八幡宮の参道を歩いて社殿に向かいました。
和洋折衷の旧余田公民館 租税完納塔 名合八幡宮の社殿
御手洗い所で手を洗い社殿でお祈りをしました。私の祖父の出身である余田坂本地区の方々は、名合八幡宮の氏子だったようです。私が子供の頃、名合八幡宮の祭りなどに祖母に連れられてよく来ました。その祭りの様子を覚えています。名合八幡宮を出ると、院内方面に向かう道に出ました。そして、緩い坂道を登りました。途中のいくつかのお地蔵様を見学しました。
名合八幡宮を参拝 道端のお地蔵様1 敷地内にあるお地蔵様
歩いた緩い坂道は、その昔巡礼ルートの一つだったのではないでしょうか。ざっと換算して200mに一つの割合で、お地蔵様,祠,お堂があります。古代おいて、この付近は海が入り組んでいたはずです。実際、歩きながら田布施側に明地遺跡の田んぼがみえます。この道はおそらく、海に突き出ていた小さな半島の尾根道だったに違いありません。古代から延々と使われた古道ではないかと思われます。
道端のお地蔵様2 中郷地区の公会堂前の墓地群
私は幼児の頃、名合八幡宮から緩い坂道を歩いて余田坂本の親戚に行ったことがあるように思います。しかし、どうしてもその光景を思い出せません。確か、茅葺屋根が多い民家が散在していたように思います。いわば桃源郷のようなうっすらとした記憶です。幼児だった私から60年経った今、何故だか懐かしい光景をたどりながらウォーキングを続けました。
今回歩いた、柳井市余田ウォーキングのコース