七生公園の道はとても複雑で、いつの間にか道に迷ってしまいました。行きたい方向が見えるので、その方向に向かう道を歩きました。ところが、だんだん道が思わぬ方向に曲がっていきました。そのまま道を進むと、元来た道に戻ってしまうことに気が付きました。そのため、意を決して下に向かう獣道を下りました。そして、ある池に到着しました。その池を超えると目的の場所に着きました。
七生公園のなだらかな、綺麗に手入れされた山裾
目的の場所に出ると、多摩テック跡地前の道を通りました。多摩テックは、私が学生時代に友達と来たことがあります。50年位前の事でしょうか。ゴーカートなどに乗って楽しんだことを覚えています。その後ディズニーランドが開園して、お客が来なくなったからでしょう。そもそも、山の奥にあるので、自家用車がないと来ることができませんでした。10年位前に廃業になりました。その少し前に向ヶ丘遊園も同じように廃業しました。
多摩テック跡地 一部の遊具が見える 日本初エレベータ墓地
多摩テック跡地を過ぎて坂道を越えると、日本初と言われるエレベータ付き墓地の横を通りました。そして、農協の敷地跡の横を通りました。その敷地は今、明星大学の運動場になっています。この農協の敷地で毎年のようにイベントがありました。よく覚えているのは、巨大な牛肉の丸焼きです。子牛一頭分ほどの牛肉が、火にあぶられながら回転していました。
知人経営の夢畑 元ユギファームの畑 元ユギファームの小屋
明星大学の運動場横を過ぎてすぐの場所に、知人が経営する夢畑があります。障害をもった方々を自立支援する私設施設です。ビニールハウスでしいたけなどを栽培しています。今から18年前、私はここで東京サンショウウオの観察会を企画実行したことがあります。その後、この場所に生息していた東京サンショウウオは絶えてしまったそうです。残念なことです。
かつて耕していた田んぼ FIOの無人野菜販売所
さらに歩いていると、懐かしの元ユギファームの田んぼや農作業小屋が見えてきました。この田んぼで、昔の米作りを小学生,中学生,高校生,そして大学生たちに教えていました。一年を通じた田んぼの管理はとても大変でした。しかし、関わった人達の笑顔を思い出すと、今でも心の中で幸せに思います。元ユギファームの田んぼを過ぎると、FIOの無人野菜販売所に立ち寄りました。珍しくFIOの人達がいましたので立ち話をしました。。FIOは10年位前に学生が立ち上げた農業団体のようです。経営は厳しいようですが頑張って欲しいと思います。続いて、東京薬科大学近くを通って我家に帰りました。
高幡不動尊から尾根伝いに歩いたコース