アークホテル熊本城前で朝食を食べると、2日目の目的地である天草に向かいました。天草は私が20歳代に来たことがあります。40年前とどう変わっているか興味がありました。天草五橋を渡る前に、道の駅・海の駅 宇土(うと)マリーナに寄って休憩しました。宇土の広域地図を見ると古墳や石棺遺跡などがたくさんあるようです。九州は古代の遺跡がたくさんあるのですね。時間があれば寄ってみたかったのですが残念!続いて天草五橋を渡りました。40年前、私はバスで通りました。たくさんの島や湾があったことは覚えていますが、橋の色や構造は全く覚えていません。しばらく走っていると天草市に着きました。
天草市での昼食休憩、美味しい魚料理に舌鼓
天草市は、私が覚えている40年前より発展してるように思いました。新しい家並みがここかしこにあります。古い民家はどこを探してもありません。そもそも廃家が見当たりません。漁業か観光資源しかないように思いますが、それ以外の産業があるに違いありません。さて、天草市に着いて最初に行ったのは、丘の上にある殉教公園です。40年前、バス停から殉教公園まで急坂を歩いて行きました。今の殉教公園、当時よりも木々か多くしかも高く茂っていました。
立ち寄った宇土マリーナ 天草キリシタン館 40年前の旧天草キリシタン館
40年前に撮影した写真を見ながら、今も残っている遺跡がないか探してみました。すると、1つだけありました。キリシタン墓地です。背景や小道はすっかり変わっていましたが、ある石碑が昔のまま静かに立っていました。その他にも史跡がないかどうか探したかったのですが、時間がないので諦めました。個人的に残念だったのは、40年前に建っていた旧天草キリシタン館が新しく建て替わっていたことです。
現在のキリシタン墓地 40年前のキリシタン墓地
40年も経つと、もどかしいほど断片しか覚えていません。40年前、確か旧天草キリシタン館前(現エスカレータ付近)にあった長椅子に座って、眼下の天草の街並みをスケッチブックに写生しました。そのため、当時の街並みを妙に覚えています。海や山は昔のままでしたが、街並みはすっかり高い建物ばかりになっていました。
館内を丹念に見学 天草キリシタン館からの市街 いけす料理 やまもと
天草キリシタン館に入館してしぱらく見学しました。40年前より館内は広く、内容がとても充実していました。もう少し時間があればじっくりと見ることができましたが、30分位で館外に出ました。天草キリシタン館を出ると丘を降りました。そして、昼食休憩をとる「いけす料理 やまもと」に向かいました。魚がそのまま入ったみそ汁がとても美味しかったです。
キリシタン史跡を中心に巡った天草・雲仙コース