数日前、田布施農工高校の生徒さん達と田布施川や溜池に関わる史跡を巡ってきました。ご一緒したのは土木課の生徒さんと先生です。巡りながら、400年以上前に人工的に流れを変えた田布施川の歴史をお話しました。記録によると本能寺の変の2年後に工事が開始されました。また田布施川に関係する灸川も歩きました。そして、江戸時代にさかんに作られた溜池やその溜池を鎮守するお地蔵様などの史跡も訪れました。
上段溜池の堰堤と、明和の年号(1760年代)が刻まれたお地蔵様
いろいろお聞きすると、文科省プロジェクト「農工維新!田布施あい3プロジェクト」の第1弾として、地元のことをよく知ろうとの活動のようです。今回私がご一緒したグループ以外に、古墳の調査、地元のお祭りやしきたりを調査、地元の文学者の調査、古代のお城の調査などなど10テーマ位あるようです。他の学科は地元の交流館と関わる活動をするようです。
400年前の旧川跡の散策 旧川跡の川幅 天井川の実地見学
田布施農工高校の校門を出ると、最初に定井手に向かいました。この場所は400年前、ここから川の流れを人工的に変えた起点です。この場所には、お地蔵さま,記念碑,石碑などが建っています。次に街中に入って住宅街を歩きました。そして、江戸時代に川が流れていたと思われる住宅街の幅を巻き尺で測定しました。13mです。続いて、田んぼにはっきりと分かる川跡の幅を測りました。きっかり13mでした。これで分かることは、400年前の川幅が13mだったことと、その川だった場所に沿って今は家が立ち並んでいることです。
ところで、田んぼの土手にでも座ってお弁当でも食べる予定でした。しかし、雨が降っていたため急遽東田布施公民館に寄って休憩しました。
古墳時代後期の納蔵原古墳 石積みで作られた納蔵原古墳の石室
今回は田布施川や灸川を中心に巡りましたが、古墳グループが行くとよい古墳などもついでにも巡りました。訪れた古墳は、古墳時代後期に築かれたとされる納蔵原(なぐらばら)古墳です。全長30m位の小型の前方後円墳です。後円部に登ってみると、前方後円と言われる形が良く分かります。また、石室を覗き込むことができます。古代城(7世紀頃)の石垣の積み方の一つ「石積み工法」で作られていることが分かります。
巨大な上段溜池と堰堤 超傾斜階段から見た溜池 校門に無事帰還
続いて、上段溜池に向かいました。しばらく緩い上り坂を歩いていると、巨大な溜池の堰堤が見えてきました。満水のため溢れた水が流れ出ていました。この溜池は明和年代(1760年頃)に作られたようです。それが分かるのは、この溜池を守るように堰堤に鎮座しているお地蔵様に「明和」と刻まれているからです。田布施町は享保年間(1716年頃)に大飢饉がおきて約1/3の方が亡くなりました。それも子供が多かったようです。
この飢饉以降、さかんに溜池が作られたようです。溜池の両側に鎮座する賽様と超急階段上にあるゆうが様も訪れました。その後、惣津と木地境の峠を越えて田布施農工高校に帰りました。参加した生徒さんや先生、雨の中お疲れさまでした。この史跡巡りの成果を2月に発表するとか、ぜひ見学させていただこうと思っています。
田布施農工高校の生徒さんや先生と巡った田布施川や溜池などの史跡
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田布施農工高校生と田布施川関連の史跡巡り
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