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Channel: 東京里山農業日誌
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平生町 大野 長谷~日向平方面 史跡巡りウォーキング(3/4)

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 竹藪のジャングルを抜けた後、広大な棚田を下りました。棚田とは言え、ほとんどは放棄田のようです。日向平の方々が戦後食糧難時代に開拓した棚田ではないかと思います。しかし、戦後の高度成長期を過ぎて豊かになると共に、また少子高齢化に伴って、棚田が耕されなくなったように思います。子供達は仕事や豊かさを求めて都会に旅立ちました。私もその一人のようなものです。
 子供の頃、広い田んぼの田植えや稲刈りなどを手伝いました。また、広大な桃園の手伝いもしました。さらに、親が酪農を経営したため牛達の世話をしました。高校卒業後、都会に40年近く住みました。今は、年老いた親の介護のため故郷に里帰りしました。故郷に戻り、40年前の田舎と今の田舎の落差に戸惑います。良き昔の故郷は、遠い昔の記憶だけに残っています。

          平生町大野日向平地区の棚田を前に

 さて、棚田を下りながら昼食休憩する場所を探しました。平生や田布施が一望できる棚田の畔に腰を下ろすことにしました。この棚田からよく見下ろせたのは、平生小学校,平生特産品センター,田布施川,田布施中学校などです。これらを指さしながら、楽しく昼食休憩を取ることにしました。いつもの仲間達と談笑しながら昼食をとりました。

談笑しながら昼食休憩   棚田をどんどん下る    日向平の神社を参拝
  

 昼食休憩後、棚田をどんどん下ると日向平の神社が木々の中に見えてきました。道を逸れてその神社に寄ってみました。神社は草木が生えておらず、多少なりとも管理されているようでした。昭和30年代頃までは、この周辺で広大な棚田が営まれていたでしょう。当然ながら、この神社で盛大なお祭りが開催されていたと思います。踊りを披露したであろう氏子会館と思われる建物があります。今でもお祭りは行われているのでしょうか。

    日向平の棚田100選         棚田を降りて日向平の里に
 

 神社を出ると、だんだん下りの傾斜がきつくなってきました。左足の膝が思わしくない私にはきつい下り坂でした。皆さんになんとか付いて坂を下りました。今では、この急坂をトラクター、耕運機、そして車などの動力車で登り降りすることができます。昭和初めまでは猫車やリヤカーそして牛車などの畜力を使っていました。当時は、今と違うのんびりとした時間軸で動いていたと思います。子供の頃、未来には科学が進んで生活が楽になると想像していました。しかし、私の予想とは違う未来になっていました。収入は豊かになり寿命の延びたにも関わらず、大人も子供も時間に追われ、貧富の差は広がり・・・・などなど。物の豊かさと心の豊かさは反比例するようですね。ただ、両方を足してみると今も昔も変わらないのかな?

        平生町大野の長谷~日向平方面 史跡巡りコース


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