40年位前に山間地域の文化に興味をもって、奥多摩,山梨,静岡などの山奥を調査したことがあります。もともと山歩きが好きだったため、山伝いに古老を訪ねて歩きました。すると、昭和初期の苦しい山村生活をお聞きすることができました。例えば、ある古老の一人は奥多摩山中の各家を巡りながらノコギリ,鎌,包丁,石臼などの研ぎ師をしながら生活をしていました。研ぎ師をするかたわら、手紙や買物などの頼まれごとを請け負ったりしていたそうです。中国映画「山の郵便配達」のような生活です。そして、仕事がない時は急斜面の畑で各種雑穀などを作っていました。
インタビュー時にたまたま頂いた雑穀を大事に育てています。しかし、かつて訪ねた古老達のほとんどは鬼籍に入っています。その地域で引き継がれた伝統芸能や稗などの雑穀畑を思い出します。どんどん失われる日本の古い文化に危機感を持ちますが、仕方のないことなのでしょう。田布施町毘沙門堂の杵崎さまの火祭りや別所薬師のお大師講などは絶える寸前です。また、絶えてしまったものに防陽八十八箇所霊場巡礼などがあります。
山梨県棡原(ゆずりはら)村で頂いた雑穀の稗、かつては山村の主要食
私が訪ねた古老の多くは、山中で夫婦だけか一人で住む方でした。そして、昔の生活をこつこつ続けている方が多かったように思います。車が通ることができない尾根道が多くすべてが歩きの生活です。水は谷を流れる川から家に引きます。また、斜面が多いため田んぼはありません。雑穀や麦類、そして芋類を作っている方が多かったように思います。山の斜面を利用した畑です。そのため、土が下に流れ落ちないように、上へ上へと土をかき上げる特殊農法です。そのため、独特な形をした柄が長いクワを使います。
鴨の足のようなシコクビエの穂 実を食べる穂モロコシ
親しくしていただいていた古老の家に泊まったことがあります。あるいは、雑穀などの収穫をお手伝いしたことがあります。その時に、稗,粟,黍などの雑穀などの調理方法を教わったり食べたことがあります。それらの料理はおせいじにも美味しくはありませんでした。しかし、何百年も食べて命をつないできたことを考えると粗末にはできませんでした。
ただ、八王子の山奥の恩方に住む古老から聞いた話では、町に近いほど米を食べ、山奥に行くほど雑穀を食べていたそうです。また、山奥の人ほど体からくすんだ臭いがしたそうです。つまり、雑穀を食べる地域ほど貧しく、臭いで仕事や住む場所が分かり差別されがちだったようです。
明治になってから入ってきた雑穀のアマランサス
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稗など各種雑穀が重い穂を垂れ始める、絶えつつある昔の山村文化
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