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Channel: 東京里山農業日誌
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銭壺山周辺の史跡巡りウォーキング(2/5)

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 JR神代駅からバスで10分くらい揺られていると、由宇歴史民俗資料館に着きました。下見の時と同じように、入場料を払って入館しました。この資料館は下見で見学しているため、それほど長居することなく外に出ました。この資料館は船の形をしています。造船所など船に関わる会社が多くあったため船の形にしたのかも知れません。ちなみに田布施町郷土館はNTTに建物を借りています。そのため毎年家賃を払っています。しかし、由宇歴史民俗資料館の建物は由宇町(今は岩国市)が所有しているのだと思います。

         山陽本線を跨いで、水路の取水口側に向かう


 さて、由宇歴史民俗資料館を出ると、国道188号線を渡り山陽本線の海側沿いを水路・水車史跡に向かって歩きました。この周辺は山陽本線がほぼ直線に走っています。10分位山陽本線沿いに歩くと、水路・水車史跡に到着しました。この史跡は、山陽本線の海側からいったん水路の水が線路下に約4m降りて、再び線路から水が4m上昇します。そして、山陽本線の海側の田んぼに流れ出す仕組みになっています。いわゆるサイホンの原理を使って水路の水が下降と上昇します。水車はありませんが、水路は今でも田植えのシーズンに使われています。昭和30年代にあった水車は粉ひきなどに使われていたそうです。

  由宇歴史民俗資料館    造船に関わる資料    山陽本線沿いに歩く
  

 水路・水車史跡を見終わると、銭壺山方面から流れ落ちる急な川に沿って道を登りました。川の両サイドには棚田跡がたくさんありました。昭和30年頃まではどの棚田でも稲を作っていたのではないかと思います。当時の農作業の賑やかな様子が目に浮かびます。昭和30年代、子供だった私も田植えや稲刈りを手伝っていました。稲刈りした稲束を、小さな手で掴めませんでした。そのため、歯がゆい思いをしたことを覚えています。

   線路下から上昇した水の出口    線路下に水が下降する水路の入口
 

 さらに川沿いの道を登っていると、サツマイモを掘っている方々や草刈りをしている方々がいました。健康のため、運動のため、癒しのため、美味しい空気を吸うため、ここで野良仕事を楽しんでいる方々のようでした。仕事としての農業は過酷ですが、今は息抜きとして農業をしている方が多いようです。私のその一人で、自分で作った作物や果物を食べる幸せを満喫しています。

         銭壺山に至る史跡巡りウォーキングのコース


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