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Channel: 東京里山農業日誌
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田布施町 麻郷 高塔 祇園牛頭天王社の祭典

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 一年ぶりの麻郷 高塔 祇園牛頭天王社の祭典です。今回は、少しばかりですがお手伝いをすることができました。去年の祇園牛頭天王社の祭典でも思いましたが、私が子供の頃の祭典はとても質素でした。ポン菓子や綿菓子などはなく、旅回りの人形使いの芸などが披露された後に子供たちはお菓子をもらってすぐに解散していました。
 高塔地区は当時より人口が約3倍になった上に若い人も増えたので、それに合わせて祭典の規模が大きくなったのでしょう。8年前に今のような形式の祭典にしたそうです。

    私も天幕の準備をお手伝い             綿菓子も事前に作り置き
 

 祭典の初めは祠の前で、今年小学校の新一年生になった7人が健康で良い子に育つように、高松八幡宮の宮司さんにお祓いを受けました。そして、今回の祭典の準備をした役員の方々、続いてこの高塔地区に住む方々にお祓いがありました。

        新一年生,祭典の役員,高塔地区の方々にお祈りする宮司さん


 ところで、この祭典を準備していて、昇りの赤い大旗に父親の名前が書いてあるのに気が付きました。父親が42歳(昭和41年)私が中学生の時、この祭典に寄贈した旗と思われます。父親は当時以前から、高塔地区盆踊り大会,子供会のバス旅行などをよく企画していました。そのころから既に、この祭典にも父親が関わっていたようです。

   祭典の役員などの方々へのお祓い    祠をとりまいている高塔地区の方々
 

 お祓いが済むと、新一年生7人による植樹です。毎年ツバキの苗を植えているとのことで、去年植えたツバキはすでに赤い花を咲かせています。今年植えたツバキも順調に根付けば来年綺麗な花を咲かせてくれると思います。新一年生が大人になった時、今回植樹したツバキは大木に育っていることと思います。

             照れながらツバキの苗に土を寄せている、新一年生達


 植樹が済むと、楽しいお祭りの始まりです。子供たちの大好きな、ポン菓子,綿菓子,そして大人にも美味しいぜんざいが配られます。私もチョコバナナのような簡単な何かを作ろうかと考えていましたが、今回はお手伝いだけにしました。

   ポン菓子を袋に詰め配る方々             ポン菓子を作っている方々
 

 今回のお祭りのメインイベントは、聖獣天神リュウガのアクションショーです。先週7日のたぶせ桜まつりでも似たような恐竜ジャーを見ましたが、今回の聖獣天神リュウガは、子供達の手が届くような目の前でのショーです。最初、なまはげのような悪役が出た時に、思わず逃げたり泣いたりした子供達がいました。手が届くような近くでの劇は迫力が違います。

          子供達の目の前で、聖獣天神リュウガのアクションショー


 聖獣天神リュウガのショーが演じられている間も、綿菓子,ポン菓子,ぜんざいが配膳されていました。簡単な朝食でしたので、よけいポン菓子やぜんざいの白玉が美味しかったです。ただ、ワインも飲んだので少しふらふらになりました。
 午後2時からのウォーキングのミーティング、いつもはバイクで行くのですが、今回はアルコールが入ってふらふらでしたので、久しぶりに自転車で行きました。アルコールが入っているので、特に上り坂が辛かったです。次回から、お祭りでのアルコールを控えようと思いました。

      美味しいぜんざい、ご馳走様           器用に綿菓子を作る子供達
 

 鳥居に文政11年(1828年年)の年号が書かれていますので、江戸時代にはすでに祇園牛頭天王社があったことが分かります。そして、今の鳥居を寄贈したのは、文政年間当時の上関の豪商吉田家です。私が高校時代、この祠や鳥居を調査したことがあります。今回の祭典は、鳥居の年号から逆算すると、185年(1828〜2013)にわたって脈々と受け継がれているのではないかと思われます。
 なお、今の鳥居設置年は文政11(1828)ですが、実はそれ以前に木製の鳥居があったことも考えられます。歴史をさかのぼると、高塔地区はかつては藤尾地区と鳴子田地区の二つから成り、その名は固定資産税の地番として今に残っています。さらに数百年前、この高塔地区は海岸でした。祇園牛頭天王社のある場所は、海岸に突出していた半島ではなかったかと考えられます。その突端に、何かの祠のようなものが安置されていたかも知れません。
 さらに歴史をさかのぼると、スポーツセンター近くに貝塚遺跡があったことから、また城南に5世紀頃の古墳群があることから、そして高塔山にも古墳があることから(田布施町郷土館より)、この高塔地区にもそれなりの数の人が住んでいたのではないかと思われます。もしかして、その頃の人々が集まる場所の一つが、今の祇園牛頭天王社になったのかも知れません。

             お祭りの後片付けをしている方々、ご苦労様でした


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