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Channel: 東京里山農業日誌
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田布施町 大波野の古墳,遺跡巡りミニウォーキング

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 私の友達であるYさんとEさんとで、大波野の坪曽,天王原,そして上段にある古墳や史跡を巡るミニウォーキングをしました。途中、N君と合流しました。早朝はとても寒かったのですが、朝日が眩しいほどに照っていました。このため、昼は暖かくなると思われたため、あまり厚着して出かけませんでした。

     誓立寺から納蔵原古墳へ向かう道          納蔵原古墳の後円墳部     
 

 最初、9:00に交流館に集合しました。そして、車1台に私を含む3人が載って大波野の誓立寺に向かいました。誓立寺に着くと、納蔵原古墳に向かいました。ありがたいことに誓立寺のご住職のTさんに古墳を案内していただくことになりました。お忙しいところ、ありがとうございました。
 納蔵原古墳に向かう途中、誓立寺の納骨式典会場の横を通りました。何人かの檀家さんが草取りなどをしていました。その中に中学同級生のKさんがいました。彼は今、総代をしているそうです。納骨式典会場を通り過ぎてしばらくすると、納蔵原古墳です。納蔵原古墳に着いた頃、N君がやって来ました。

       納蔵原古墳の前方墳部                  暗い石室内部
 

 納蔵原古墳は前方後円墳です。最初円墳部に登って、次に後方部を歩いてみました。長さ13m位の小型の古墳です。この古墳から出土した遺物は、田布施町郷土館に展示してあります。郷土館に勤めている関係で、今回この実物の古墳を見て良かったです。
 この古墳は、大波野地区を支配していた族長のお墓なのでしょう。この古墳は古墳時代の後期に作られたようで、形式からして大和朝廷となんらかの関係があったと思われます。

    納蔵原古墳の石室前にて、右から誓立寺ご住職のTさん,N君,私,前はEさん


 納蔵原古墳を見学し終わると、来た道を戻って天王原古墳に行きました。途中、古道に立っている道しるべの石塔を見ました。昔の人はこの石塔を見て、余田,塩田,または宿井方面に向かったようです。いったん誓立寺に戻って、天王原古墳の案内標識に沿って行きました。

  余田,塩田等を示す道しるべの石塔            天王原古墳への案内標識
 

 納蔵原古墳と比べて、天王原古墳は石室がわずかに残っているだけで、かつて石室を覆っていた墳土は跡形もありませんでした。よく前方後円墳だとよく分かったものです。
 石室は素人目には並んだ庭石のようにしか見えません。石室の上を覆っていた石が落下しているようにも見えました。古墳,奈良,鎌倉,室町,江戸,そして明治と少しずつ壊されてしまったのでしょう。人が住みやすい場所に建てられた古墳は少しずつ破壊されていくようです。不便な場所に建てられて古墳だけが残っているようです。

                大きめの庭石にしか見えない天王原古墳の石室


 坪曽は河岸段丘になっているため、古代において余田方面に広がる海岸を見下ろせたと思われます。古代の住人は坪曽や天王原に住んで、河岸段丘下に広がるの海に漁に出たのではないでしょうか。
 坪曽を後にして、次に大波野の広大な田んぼに出ました。古代海岸だった大波野を想像してみました。この海辺はとても豊かだったでしょう。古墳を建てることができる豪族がいてもおかしくありません。田んぼに出ると、明地遺跡の場所を探しました。

               明地遺跡の分銅形土製品が出土した場所に立つ


 明地遺跡は大波野の田んぼを圃場整備した時に発掘した遺跡です。古墳のように特定の場所ではありません。田んぼ全体に住居跡などの遺跡が散在していたようです。今回、郷土館にレプリカが置いてある分銅形土製品が発掘された場所を特定しました。その場所は田んぼの真ん中です。まだ代かき前でしたので、出土場所を、かろうじて歩くことができました。

  明地遺跡にて、左からYさん,私,N君        魚がたくさん泳いでいた灸川
 

 明地遺跡は、有名な分銅形土製品が出土した遺跡です。せめてこの出土付近の道か畔に石碑でも立ててあればと思います。後世になってその場所が分からなくなっては惜しいことです。ところで、この遺跡近くの農道は、農閑期を除けばとても良いハイキングコースでないかと思いました。

                納蔵原古墳,天王原古墳,そして明地遺跡の位置


 明地遺跡の次は、大波野の上段にあるため池の史跡に行きました。このため池は、江戸時代に大波野の日照り時に備えて作られた池です。その後、昭和になって近代的なため池に作り替えられました。

     昭和13年工事の碑                大波野を守るための神社
 

 大波野の上段に住む方から、このため池そばある小さな神社の話をお聞きしました。その神社は山の向こうからやってくる悪しき霊から大波野を守るために建てられたそうです。その神社は、ため池脇にひっそりと建っていました。石鳥居に文政と書かれていました。江戸時代後期に建立されたのでしょう。

                  大波野を向いて建つ、堰の中央に置かれた石碑


  江戸時代にため池を立てた碑が、せき止めたダムの堰中央に建っていました。大波野の方向を見守るように建っていました。今から250年位前江戸時代中期の宝暦(1760年頃)の年号が刻んでありました。なお、ため池の東側にも神社か祠が建っているとのことでしたが、今回は時間の関係で立ち寄ることができませんでした。
 ミニウォーキングが終わると、田布施のオレンジシャワーに行って昼食とコーヒーを取りました。その後、私とEさんは家に帰り、Yさんは誓立寺の納骨式典に、N君は仕事に戻りました。ほど良い疲れで、夜はよく寝ることができそうです。皆さん、お疲れ様でした。

                   ため池周辺の石碑や神社


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