防陽八十八ヶ所霊場の第38番霊場である蓮池寺から数百m北に行った場所に、第39番霊場の蓮成寺があります。訪問すると、若いご住職が草を刈っておられました。訪問した理由を告げて、このお寺についてお聞きしました。すると、ご本人は霊場についてあまり知っておられませんでした。少しすると、携帯電話で先代のご住職と連絡を取っておられました。
かつて、境内に大師堂があった蓮成寺
先代ご住職のお話とのことで、確かに50年以上前は御札所だったそうです。境内にある鐘突き堂の傍に、当時は大師堂があったそうで、巡礼の日には近所の人が集まって御接待をして賑やかだったそうです。しかし、50年位前に大師堂が壊れてしまい、お大師様を仕舞ったそうです。それ以来、御札所を止めたとのことでした。なお、仕舞った大師象がどこかにあるかも知れないと探しておられましたが、見つかりませんでした。
なお、蓮成寺が蓮池寺を合せて管理しているそうです。近年の巡礼に蓮成寺が含まれなくなった理由は、蓮成寺の大師堂が壊れて無くなったことと、蓮池寺と蓮成寺を合わせて管理していることによるためと思われます。
拝観させていただいた蓮成寺 東漸寺に掲げられた額
次に、防陽八十八ヶ所霊場の第40番霊場である東漸寺に行きました。田布施町の瀬戸地区にあり、山陽本線に接するようにあります。今回、レールを歩いて渡り東漸寺に行きました。お寺の門を通って本堂の前に出ました。そして、上を見ると、「菊王山」と書かれている額が掲げられていました。お寺の名前は、通常「〇〇山 〇〇寺」と呼ぶようです。このため、「菊王山 東漸寺」が、お寺の正式名称なのでしょうか。ちなみに、レールを横断する場所には、信号も警笛もありません。道があるだけです。横断するときは電車が来ていないか最新の注意が必要です。
東海道本線レールのすぐ北側に接するようにある東漸寺
東漸寺を見学し終わると、次に第41番霊場である宝樹寺に行きました。才賀川を上流に向けて行きます。宝樹寺は、倉本地区の小高い場所にあります。才賀川側から行く時は、「宝樹寺」と書かれた立て札から坂を登って行きます。こじんまりとした、とても落ち着いたお寺です。境内の西側に大師堂があります。巡礼のときは、このお堂を拝むのではないでしょうか。
田布施町倉本の宝樹寺 太子庵に納められたお札など
続いて、第42番霊場である太子庵を探しました。最初、太子庵の場所が分からなくて困りました。西田布施公民館の近くにあるとの情報で探していると見つかりました。なんと、西田布施公民館前の道向かいにありました。建物が小さく木々の陰になっていたため、なかなか見つけることができなかったのです。
この付近はよくバイクや車で通りますが、この庵にはこれまで全く気付きませんでした。最初、人が住むことができる小さな庵を想像していたら違いました。昔は、庵だったのでしょうが、今はお堂のような小さな建物でした。中には、御札などが置かれていました。
西田布施公民館前の道の向かい側にあった太子庵
ところで、田布施町竹尾地区の有志の方々は、一昨年まで11月に車で平和巡りをしていました。そのスタート地点は、下図のA地点の長田の観音堂でした。そこをスタートして、宝樹寺〜太子庵〜瑞松庵〜光福寺〜竹尾の観音様のコースを巡礼していたのではないかと思われます。瑞松庵を経由したことは、光福寺のご住職から直接お聞きしたので、間違いありません。
昔は限られた裕福な人しか、四国やこの防陽八十八ヶ所を巡礼できなかったと思われます。つまり、昔田布施に住んでいた普通の人(主に農民)は、家を空けて何日も巡礼することは、金銭時にも時間的にもできなかっと思います。これら八十八ヶ所霊場を全て巡礼できない農民を救済するため、細切れの巡礼ルートが考え出されたのではないでしょうか。
防陽八十八箇所 39〜42番霊場(御札所)
39番霊場:蓮成寺 40番霊場:東漸寺
41番霊場:倉本 宝樹寺 42番霊場:太子庵
A:長田の観音様
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防陽八十八ヶ所霊場の実踏調査 39番〜42番霊場 田布施町編(4/5)
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