来月予定しているウォーキングコースの下見をしました。これまでは、山,川,島,そして丘などをウォーキングしてきましたが、来月は田布施町中心部の商店街やその周りの史跡を巡ります。今回は、それらの史跡や歩くコース,トイレや休憩の場所,コースタイムなどを確認するための下見です。来月のウォーキングに参加できない方や観光協会のMさんなどが参加しての、楽しい下見ウォーキングでした。
江良碧松の句碑 真光寺の立派な石垣 真光寺の建物
集合したのは田布施町交流館です。最初、田布施庁舎前にある江良碧松の句碑を訪れました。この句碑の前で、田布施町内にある江良碧松の三つの句碑について説明をしました。その中の一つである浮島神社の句碑について詳しく説明しました。浮島神社の力石に刻まれた句碑を知らない方が多いようですので。
次に、庁舎の南側にある真光寺に行きました。そびえるような立派な石垣の間の坂道を上って、真光寺に行きました。そして、江戸後期の教育者漏田遠慶の石碑を見ました。
真光寺、拝ませていただいた立派な建物内部
漏田遠慶の石碑を見学した後、真光寺の建物内部を見学しました。とても立派な作りでした。私も皆さんと同じように拝ませていただきました。真光寺を出ると、すぐ近くの吉田菊之進の石碑を見学しました。吉田菊之進は、明治時代に女子教育の必要性を説いた人です。彼が設立した吉田裁縫所は嫻雅女学校となり、今の熊毛南高等学校の前身となりました。
岸信介元首相のお墓詣り 詩情公園を散策 定井手の石碑を解析
続いて、岸信介元首相のお墓詣りをしました。そして、その横の道を登って詩情公園に行きました。この公園からは田布施町を広く見渡すことができます。詩情公園を降りると、定井手に行きました。ここは、田布施川が真っ直ぐ南に向かって流れる起点です。江戸時代始め、この定井手から田布施川が人工的に直線に掘られました。それ以前は、定井手から薬師川となって田布施街内を通って灸川に流れ込んでいました。
田布施幼稚園を併設する龍巌寺の建物
定井手に着くと、田布施川決壊の記録が刻まれた石碑の文字解析を試みました。昭和25年のきじや台風による決壊に関わると思われる、決壊を防ぐための施設を昭和27年に設置したことの石碑のようでした。石碑を拓本で解析するなどして時間が取られてしまいました。
龍巌寺の内部、とても荘厳 近いうちに建物を建て替え
急いで次の訪問地である龍巌寺に行きました。幼稚園を併設しているお寺です。ちょうど、園児たちは昼食時間でした。龍巌寺の建物の内部を見学させていただきました。天井に古い太鼓が置かれているのに気がつきました。その昔、お葬式の合図などに使ったそうです。今は葬儀場が完備されているため、使うことは無いそうです。なお、建物が今の建築基準に合わないとのことで、近いうちに建て替えるそうです。
小さな小川の卵型岩 長合集会所が敷地内にある円満寺
龍巌寺を出ると、田布施中学校の北側を通り、線路を渡って長合に行きました。最初、小さな小川に横たわる卵型の岩を眺めました。この岩は、人が住み始める何千年も前からここに鎮座していたはずです。この岩に魂があるならば、古代からの田布施の歴史を聞いてみたいものです。
続いて、円満寺に行きました。ここは真言宗のお寺です。数十年か前にご住職が亡くなって以来、継ぐ方がいないとのことです。同じ敷地内に長合集会所があります。
下見で歩いた田布施町商店街周辺の史跡コース
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田布施町 商店街周辺の史跡を訪ねてウォーキングの下見(1/3)
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