かつて第二次世界大戦時、田布施町麻郷に軍の軍事物質を保管する地域がありました。今の高塔地区と旭地区で、通称「集積所」と呼ばれていました。この集積所を作る時、この地域に住んでいた方々は全て追い出されました。海軍の回天基地が平生の田名に作られる頃です。また、今の平生の角浜北のジョイフルから田布施に伸びる真っ直ぐな軍事道路が作られる頃のことです。
下の画像は、米軍が1946年に撮影した航空写真です。集積所の範囲や建物の配置がとても良く分かります。集積所の建物はどれも画一的でトタン屋根のようです。また、数も30軒以上です。これほど多かったことを初めて知りました。
米軍が1946年に撮影した集積所 番号は建物の番号
戦後昭和20年代後半に、当時の地名である藤尾,下山,そして惣田を分割したり合せたりして、今の高塔地区と旭地区ができました。高塔の名前は国木田独歩「帰去来」の高塔山から取ったことが分かっています。旭の名前は誰がいつ頃命名したのか分かりません。とにかく、かつての集積所の様子が分かりました。ちなみに国木田独歩が仮寓した吉見家があった地区は下山と呼ばれていたようです。なお、私の父親は建物(10番)を払い下げしてもらって住み始めました。
高塔にかつてあった集積所の建物 建物(10番)の構造が良く分かる
左:上画像の12番 右:上画像の10番 左:父親の叔母 右:父親
↧
田布施町 麻郷 戦時中の軍事物資保管所(通称:集積所)について
↧