先月調査して探し当てることができなかった麻里府上組の中村荒神社を再度探索しました。まずは中郷のT氏を訪ねてその場所をお聞きました。しかし、その場所がなかなか理解できず何度もお聞きしていると「私がいっちゃげよう。」とのこと。ご高齢にもかかかわらず案内していただけることになりました。本当にありがとうございました。
T氏の後を追って妙見神社へ向かう 1ヶ月ぶりに来た妙見神社
T氏は上組の妙見神社に向かって山を登り始めました。ところが、T氏は杖を忘れて来たとのこと。私は急遽、太い笹茎を切って杖の代わりにとお渡しました。ところで中村荒神社は、のちに住吉神社となった明神社跡の近くにあるとばかり思っていました。ところが、今は妙見神社に置いてあるとのことでした。それを聞いて初めて、中村荒神社が移されていることを知りました。そして、「中村」は人の名前ではなく、中村条(じょう)と言う地区名であることも知りました。
妙見神社の裏山に置かれた中村荒神社の祠
妙見神社に着くと、中村荒神社の祠を探しました。すると、裏山の斜面に置かれていました。なお、祠は妙見神社にあるが、ご神体は上組公会堂に置かれていることを通りすがりの方にお聞きしました。中村家が中村荒神社のお世話をできなくなったため、いったんは妙見神社に移すも、高い場所にあるためお年寄りが通えず、ご神体だけ上組公会堂に移したとのことでした。
中村荒神社の祠 妙見神社軒下の亥の子
ご神体は上組公会堂に
今回の調査で、下画像の赤い矢印のように中村荒神社が移ったことが分かりました。今、石の祠は妙見神社に、ご神体は上組公会堂にあります。
ところで、妙見神社の軒下で面白い物を見つけました。亥の子です。この麻里府でも、かつては亥の子が行われていたようです。T氏は亥の子をしているのを見たことがあるとのこと。亥の子を引っ張る鉄の輪はすっかり錆びていました。今は使われないまま忘れ去られています。
上組の中村荒神社の移り先
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田布施町 麻里府 上組 中村荒神社の探索
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