江良碧松句碑を見た後、先日行ったお墓に行きました。そして、付近のあまり使われていなであろう山道を散策しました。しばらく進むと、溜池がありました。今では溜池はあまり重要視されていませんが、終戦直後は食料増産に不可欠な貯水用池でした。その昔、日照りで苦しんだ村人が作った大切な施設なのです。溜池を過ぎると、助政と奈良の境の道に出ました。
江良碧松家族の墓地 日照り対策用の溜池 助政地区を散策
先日は奈良地区を散策したため、今回は助政地区を散策しました。麻郷小学校に通じる道を進んで、神花社(じんがさー)に行きました。このお堂について、地区の方に聞きました。すると、うぐらが祭っている話をお聞きしまた。うぐらとはもぐらのことです。助政以外の地区でも、カニ,虫,牛などの生き物を祭ってる祠があります。町内では「カニ守り」さんのお話が紙芝居になっています。
神花社近くから見下ろした麻郷小学校
神花社近くから麻郷小学校を見下ろすことができました。麻郷小学校の向こう上面には校歌になっている箕山(みやま)が見えました。私が小学生時代の校舎は西側(神花社側)にありました。さらに昔は、南側約300mに木造校舎がありました。神花社の中には、石と木の祠がありました。どちらかが、うぐらの祠ではないかと思います。
神花社のお堂 助政のお地蔵様 郵便局近くお地蔵様
神花社を過ぎると、助政のお地蔵様に向かいました。途中、大室遺跡の看板がありました。この周辺には古くから人が住んでいたのでしょう。助政のお地蔵様についてある方にお聞きしようと思いましたが、不在のためお聞きすることができませんでした。
郵便局から高松八幡宮に向かう 改道記念碑
続いて、麻郷郵便局傍の平田川横にあるお地蔵様を見ました。そのお地蔵様の台座には十九番と掘られています。この十九番の意味が今もって分かりません。近くに、十八番か二十番のお地蔵様があれば分かるのですが謎です。どこかを回る八十八番ヶ所だと思うのですが。何番か彫られたお地蔵様があれば推定できますが、近所ではこのお地蔵様だけにしか彫られています。気長に調べようと思います。このお地蔵様を見た後、高松八幡宮に向かいました。途中、改道記念碑が建っていたのですが、立てた日付がどこにあるのか分かりません。次は、奈良地区周辺をより詳しく調査しようと思います。
今回歩いた、伊佐里峠,井神,助政方面の道
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田布施町 麻郷の伊佐里峠,井神,助政などを散策(2/2)
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