慶宝寺の石垣はなかなか立派です。いろいろなお寺を見てきましたが、山の斜面にあるお寺はだいたい石垣が立派です。山の斜面にお寺を作ろうとすると、境内を広くするために高い石垣を作らざるを得ないのでしよう。
慶宝寺の立派な石垣、丁寧に石が組んである
慶宝寺の石垣を降りて、しばらく歩いていると左手に椿窯がありました。これまで何度かこの道を通りましたが、気が付きませんでした。立ち寄ってみましたが、誰もいないようでした。少し離れた所に椿壽窯と掲示された大きな窯がありました。
椿窯からしばらく快適な道を歩いていると、道角にお地蔵さんが立っていました。台座正面には三界天霊と、右横には享和四甲子正月(1804年)と刻まれていました。
椿壽窯の大きな窯 享和四年安置のお地蔵様 正蓮寺に到着
お地蔵様を過ぎると、急な坂道を登って正蓮寺に行きました。約二ヶ月ぶりの正蓮寺です。このお寺は、相当昔にお寺ではなくなったようです。地元でも、正蓮寺の名前を知らない方や巡礼者がいたことを知らない方がいるのです。かつては防陽八十八霊場だったと思われますが、私が持っている防陽八十八霊場リストにはありません。しかし、近所に住む古老の話が記憶違いでなければ、かつては明らかに霊場でした。霊場を証明する板が掲げられていますが、風化してどうしても読めません。
談笑しながら昼食休憩した正蓮寺
正蓮寺は今、地元の集会所となっています。このお寺で昼食休憩しました。今回は寄れませんでしたが、近々近くに住む古老に再度聞き取り調査しようと思っています。正蓮寺は高台にあるため景色が雄大です。景色を楽しんだ後、高台を降りてウォーキングを再開しました。
正蓮寺から見下ろした集落 バイクに乗った方とお話 貯水池建設の石碑
しばらく歩くと、バイクに乗った方に声をかけられました。何でもこの近くに遺跡があったとのこと。その遺跡があったため、貯水池が別の場所に作られたそうです。その貯水池に行ってみました。土手の端に記念碑と思われる石碑が建っていました。
今回下見した五軒屋,伊保木,岩屋
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光市 五軒屋,伊保木,岩屋ほかウォーキングのための下見(2/3)
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