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京都市 幕末・明治維新に思いをはせる旅(1/8) 寺田屋,伏見

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 田布施町郷土館で幕末の長州藩志士だった冨永有隣の展示会を開催していますが、たまたま京都市の幕末・明治維新他の史跡を家族と一緒に巡る機会を得ました。10月2日~4日の3日間です。歴史好きの息子が、コースをセッティングしてくれました。まず、2日の夕方17時に京都駅に着くと、息子が待っていてくれました。家内が京都に着くのが19時頃なので、それまでの間に寺田屋と伏見に行くことにしました。

             薩摩寺田屋騒動と坂本竜馬襲撃の寺田屋、当時の趣あり



 まず、京都駅から近鉄京都線に乗り丹波橋へ、京阪本線に乗り換えて中書島駅に着きました。中書島駅を降りると、北に向かって真っ直ぐ歩きました。すると、宇治川源流に着きました。橋を渡って左折してすぐの所に寺田屋跡がありました。当時の趣を保った建物が再建されていました。

  柳が映える宇治川源流      近くに伏見土佐藩邸跡     会津藩駐屯地跡
  

 寺田屋騒動は薩摩藩内での公武合体派と尊王派の対立ですが、結局薩摩藩は薩長同盟を結んで討幕することになりました。寺田屋騒動で粛清された人が生きていたら、どんな気持ちだったでしょうか。ほぼ討幕一本だった長州藩(一時、俗論派などが政権を握りますが)と違って、公武合体から討幕へと傾いて行った薩摩藩の心中はどんなものだったのでしょうか。
 なお、この寺田屋では、坂本竜馬が襲撃されています。当時の重要人物は、天誅などの暗殺から逃れるすべを各自工夫していたと思います。その一つは、お龍のような信頼できる伴侶を持てるかだったと思います。竜馬は、お龍が命をかけることができるほど、心身ともに男前だったのに違いありません。桂小五郎と幾松もそうですが、ともに命が結ばれた二人だったと思います。熱い志と恋が明治維新を成功させたとも言えます。

      御香宮神社の伏見の戦碑、ここから伏見奉行所に砲撃(〇:佐藤栄作書) 

 寺田屋の次に薩摩藩が陣を張っていた御香宮神社に向かいました。その道すがら、今は幼稚園になっている会津藩駐屯地などを通りました。鳥羽伏見の戦い当時の、幕府軍陣地から討幕軍陣地へ向かって歩きました。途中、民家に当時の弾痕跡がありました。討幕軍陣地(薩摩軍)の一つであった御香宮神社に着くと「伏見の戦碑」がありました。その石碑を読むと、佐藤栄作書と書かれていました。こんな所に佐藤栄作の書があるとは思いませんでした。

  御香宮神社の祭り提灯      京都タワーを見上げて     家内と合流し夕食   
  

 御香宮神社は3日からお祭りのようで、たくさんの出店が準備されていました。本殿には見守りの方々がおられました。その方にお聞きすると、相撲大会も開催されるとのことでした。御香宮神社を見終わると、近くの桃山御陵前駅から京都駅に戻りました。そして、家内と落ち合って夕食を取りました。そして、京都駅傍のホテルに向かいました。眺めの良い8階の部屋でした。

        今回歩いた伏見周辺、当時の幕府軍陣地から討幕軍陣地へ散策


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