夜に京都御所を巡った次の朝、ホテルで朝食をとりました。バイキング方式のため、サラダ,ハム,卵,パン,ジュースなどを選びました。気分よく朝食を済ませると、バッグ類を受付に預けて京都駅を出発しました。最初に行ったのは京都霊山護国神社です。幕末・明治維新関連の歴史が好きな人ならば一度は訪れる場所です。坂本竜馬など維新の志士たちが祀られています。
私が選んだ朝食 到着した京都霊山護国神社 特操の碑 〇:佐藤栄作書
京都霊山護国神社に到着しましたが8:00前でした。そのため、開門の8:00まで周りを散策しながら観察しました。すると、特攻隊の碑でしょうか「特操の碑」があり、その右下に佐藤栄作書とありました。こんな所にも佐藤栄作の書があるのですね。明治100年時の内閣総理大臣でしたので、明治維新や戦没者に関わる書を多く依頼されたのでしょう。
坂本竜馬墓地付近から京都市内を見下ろして
門が開くと、拝観料を払って中に入りました。すると山の斜面に明治維新に関わる勤王討幕の志士達のお墓や慰霊碑が所狭しと並んでいました。一番目につくのは、やはり坂本竜馬と中岡慎太郎の墓地でしょうか。二人の銅像が建っています。近江屋で二人は暗殺されました。大政奉還直後で、誰が犯人かいろいろ説があります。
坂本と中岡の銅像 長州藩志士達の列柱 大村益次郎の墓地
この京都霊山護国神社に祀られているのは、さすがに長州藩の志士が多いようです。ずらりと何列にも並んだ列柱は壮観です。その列柱を見守るように、高杉晋作,入江九一,来島又兵衛,久坂玄瑞など長州藩を先導した志士が祀られています。
長州藩の志士達を見守るように建てられた高杉晋作などの慰霊石柱
京都霊山護国神社の一番上には、この慰霊碑を作ることに貢献した木戸孝允と妻幾松の墓地があります。幕末を生きぬいた木戸孝允は、明治になってから維新に命をささげた志士達を弔って回ったそうです。仲間達が多大な命を投げ出して作り上げた成果を、心の中で報告したのでしょう。
木戸孝允の墓地 左隣の幾松の墓地 梅田雲浜の慰霊碑
獄死した梅田雲浜の慰霊碑を最後に見てから京都霊山護国神社を出ました。明治維新はいわば革命です。その革命ためにどれだけの犠牲があったか、木戸孝允は誰よりも知っていたと思います。彼の晩年は、志士達の鎮魂のための行脚の日々だったそうです。例えば東北の地にも赴いて、暗殺された世良修蔵墓所を訪ね石灯篭を建てたとか。そして、この京都霊山護国神社の建立に心をくだいたとか。
今回訪れた京都の町並みとコース
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京都市 幕末・明治維新に思いをはせる旅(6/8)
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