この前、横浜で私がかつて勤めていた職場から同窓会パーティー開催の招待がありました。その職場は、13年位前まで所属していた日立のコンピューター開発のある部署です。その部署はコンピューターの操作説明書を専門に書く部隊でした。その部署が立ち上がる時から私は所属していたことになります。
その部隊に配属される直前、私は通産省が関わるICOT(第五世代コンピューター開発機構)に派遣されていました。その派遣から戻って、一時的にDC部(データコミュニケーション部)にいました。これから何の仕事をしようかなと思っていた時、このマニュアル開発専門部隊の立ち上げに巡り合いました。
専門部署立ち上げ時 パーティー会場 私とかつての同僚達
当時、説明書を書くのはコンピューターの設計者でした。そのため、分かりやすい説明書を書く余裕や工夫は望むべきもありませんでした。そこで、マニュアル開発専門部隊はユーザーの立場に立って説明書を書くわけですが、そのためにはコンピューターの仕様書をある程度は理解できる知識も必要でした。当初、ワープロさえない時代でしたので、紙に原稿を書いて写真などのレイアウトも手書きでした。
私はワープロが出始めてからブラインドタッチを覚えました。今でも、その時覚えたひらがな入力をしています。私は予算獲得の仕事も兼ねていましたので、年度初め前にコンピューター設計部署を訪ねては予算獲得交渉などをしました。今では懐かしい仕事の思い出です。そのころ、私は同僚達を誘っては、自分の子供達を連れてよくハイキングに行ったものでした。富士山,尾瀬,三浦半島などです。
同じテーブルの紹介 各自好きなものを取る 美味しそうなケーキも
今回のパーティーで嬉しかったことの一つが、一緒に働いていた女性達がそれぞれ立派な母親になっていたことでした。高校生,大学生,または社会人に立派に育てあげているようでした。
当時、私は仕事がそれほどできる方ではなかったこともあり、又上司から残業が少ないなど揶揄されることもあるなど辛い時もありました。会社を早期退職制度で辞めた後、私は180度違う病院の仕事に就くことにしました。早期退職を予感して夜間学校に通っていたことが、この時役に立ちました。今となってはその病院の同僚との交流も思い出です。
定年を過ぎた今、昔を思い出すことがよくあります。入社した時はテレビジョン関連の開発や販売、続いてソフトウェア開発,ICOT(第五世代コンピューター開発機構),マニュアル開発,そして病院勤務の時代、それぞれが我が身になったと思います。仕事と並行して神奈川山岳連盟やボーイスカウトにも所属し、地域の子供達や青年に自然の大切さを教えたり借りた田んぼで米作り体験をする活動をしたりしました。
定年後の今、縁あって郷土館でふるさとの民俗を研究調査したり史跡を紹介する仕事、あるいは地域の子供達の工作指導などをしています。また、ウォーキング団体の会長として毎月史跡を巡る健康ウォーキングを主催してます。今も昔も、それぞれ良い仲間達と出会っているように思います。ありがたい事です。
パーティーが終わった後、全員の集合写真
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日立時代に勤務、マニュアル開発部30周年同窓会ほか
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