田布施町の、とあるお寺のご住職様が催されている生き生き大学から、奇兵隊に関わる史跡を巡る講師を依頼されました。郷土館の職員は月曜日お休みなのですが、町民サービスが大切な仕事であることを考えればお断りする理由はありません。講師を快くお引き受けしました。朝10時に介護老人保健施設そよかぜに集合しました。遠く岩国市から来られた方もいました。
史跡巡りに使用したバス 冨永有隣顕彰碑 田村知義功徳碑
最初、マイクロバスで行くのかと思っていたところ普通サイズのバスでした。私はバスの前方に乗って、運転者さんに進む道のアドバイスを所々でしました。最初に行ったのは、城南瓜迫にある冨永有隣顕彰碑です。ここで、吉田松陰と有隣の関わりや幕末時の有隣の行動などについて解説しました。続いて、城南宿井にある元奇兵隊員の田村知義功徳碑に行きました。明治初期、田村知義が初代の城南村村長になったことなどを説明しました。また、富永有燐とのエピソードなどについても説明しました。
石城山山頂に到着 奇兵隊駐屯地跡に向かう 第二奇兵隊志士顕彰碑
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続いて、光市の石城山に登りました。山頂にかつてあった神護寺に、室積の普賢寺が移ってきた第二奇兵隊が駐屯していました。当時山頂は西の高野山と言われたほどで、神護寺を中心に18もの宿坊や僧坊がありました。隊員は、その宿坊や僧坊に分かれて泊まっていたようです。明治初期の廃仏棄釈政策によって、石城山の神護寺は廃寺となり平生町に移っています。今、宿坊や僧坊は跡形も無くなり、それを示す木柱だけが寂しく立っています。
石城山の次に駐屯した専福寺と第二奇兵隊駐屯碑
続いて、第二奇兵隊が石城山の次に駐屯した専福寺に行きました。お寺に到着すると、岸信介書の第二奇兵隊駐屯碑の説明をしました。この周辺で当時の奇兵隊士は訓練をしたようです。近くの田畑で耕耘機を使って耕していると、当時訓練で発射した弾丸がロータリーの刃にカチカチと当たることがあるそうです。その時見つかった弾丸(ミニエー銃)の一部が、郷土館に保存されています。
専福寺の本堂 奇兵隊員が使用した井戸 専福寺本堂に向かい合掌
第二奇兵隊駐屯碑を説明すると、奇兵隊員が使用していた井戸に行きました。井戸は三つあり、専福寺側から、飲み水専用、食器などの洗い専用、そして馬を洗うための井戸専用と別れていました。奇兵隊の説明が終わると、このお寺と国木田独歩との関わりについて説明しました。次に、国木田独歩の波野英語塾跡と吉田菊之進顕彰碑を訪れる予定でしたが、お昼にさしかかったためやむなくスキップしました。そして、昼食をとる詩情公園に向かいました。
奇兵隊緒隊に関わる史跡を巡ったコース
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田布施町 生き生き大学 奇兵隊に関わる史跡巡り(1/2)
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