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Channel: 東京里山農業日誌
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柳井市 楽しかった阿月史跡巡りウォーキング(4/4)

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 青木観音堂を出ると、白井小助屋敷跡に行きました。この頃になると、さらに日差しが強くなり舗装道路を歩いていると、照り返しで体がほかほか暑くなります。二十代の頃、横浜の社会人山岳部「岩稜山岳会」に所属していたことがあります。ある春の合宿の時でした。北穂高の積雪の上を歩いていたのですが、日光の照り返しで目を傷めたことがあります。通称「雪目」と呼ぶ症状です。目がごろごろと痛く、瞼を開けることができなくなるのです。雪で反射した紫外線が、目を傷める症状なのです。今回の舗装道路の照り返しで「雪目」を少し心配しましたが、全くの杞憂でした。

   白井小助屋敷跡碑      荒神様の祠       国行雛次郎墓石
  

 次に、荒神様の祠に行きました。その道の途中、赤いブラシの木がある家の前を通りました。しかし、赤いブラシの花は散っていました。その家の方にお聞きすると、お婆様が花好きで、いろいろな花を植えているとのことでした。脇道に入り、荒神様の祠と七地蔵尊を見学しました。そして、やや暗い山の中に入って元奇兵隊士国行雛次郎墓地に行きました。彼は第二次長州征伐時、大島の役の戦いで惜しくも亡くなりました。

           防陽第十二番箇所霊場の無動寺に到着


 ちなみに我家にも大島の役に関わる言い伝えがあります。それは、婆さまの婆さまの婆様、つまり私の五代前の婆さまの話です。その婆様の息子が奇兵隊に入っていたそうです。その婆様は阿月の隣の伊保庄に住んでいたのですが、大島の役時に大砲の音がよく聞こえたそうです。その大砲の音が聞こえるたびに、息子のことが心配で仕方なかったそうです。しかし、その息子の消息は伝わっていません。戊辰戦争で亡くなったに違いありません。

  二体のお地蔵様      日露戦争凱旋門       猛暑の中、円勝寺に到着
  

 元奇兵隊士国行雛次郎墓地を見学し終わると、無動寺に向かいました。この無動寺の近くに、私の曾祖母の一人の出身の家があったそうです。家の名前は分かりませんが、屋号は「のけ」と言ったそうです。その曾祖母は、アメリカに渡って私の祖母を生んだそうです。しかし、アメリカで不幸にも亡くなったため、祖母は日本に帰ってきました。その祖母の姉はアメリカに残りました。その姉には二人姉妹の子供がおり、その家系が今でもアメリカにいるのではないかと思います。私が子供の頃、アメリカに住むその姉から贈り物がよく来ていたように覚えています。その後通信が途絶えたため、その家系の消息は分かりません。

  廃寺の岩休寺        浦家の墓所         立派な円覚寺
  

 無動寺を出ると、どんどん坂道を下りました。そして、二体のお地蔵様を見学した後、日露戦争戦勝記念凱旋門に行きました。凱旋門と言っても、パリのように巨大な凱旋門ではありません。門と門の間を結ぶ鉄梯子が外れて錆びていました。続いて、円勝寺に向かいました。お寺に着くとご住職のご厚意で、冷たいお茶をいただきました。氷入りのお茶はとても美味しく、猛暑で疲れた体に沁みいるほど美味しかったです。本当にありがとうございました。

          最後に訪れた東神明宮、皆さん元気に到着


 円勝寺を出ると、廃寺の岩休寺に向かいました。今にも崩れそうな本堂は哀れでした。かつては盆踊りが行われるなど、たいそう賑やかなお寺だったそうです。続いて、その隣にある浦家墓所に行きました。立派な墓石が立ち並んでいました。その後、円覚寺に行き、最後に西神明宮に行きました。今回は猛暑の中での史跡巡りウォーキングでした。参加された方々、本当にお疲れ様でした。

           猛暑の中、巡った阿月の史跡など


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