田布施町郷土館では8月1日~31日の1ヶ月間、「田布施町 江戸~昭和の自然災害に学ぶ」展を開催します。その展示会の準備をしています。まずは2日前、郷土館入口に看板を二枚建てました。そして、今回、郷土館内にたくさんの展示物を掲示しました。展示会の準備が完了すると、災害に関係すると思われる消防団、災害に関心があると思われる議員さんなどに資料をお渡ししました。
「田布施町 江戸~昭和の自然災害に学ぶ」展の準備が終わった郷土館
災害と言うと、今の人は台風,土砂崩れ,地震などを思い浮かべます。しかし、江戸時代はそんなものでは済まされない、生きるか死ぬかの災害が日常茶飯事でした。食料であった稲の不作が毎年のようにありました。また、天然痘などの疫病も絶えずありました。例えば、享保年間の大飢饉では、ほぼ1/3の人たちが飢えて亡くなりました。生きる残ることが奇跡な時代だったようにも思えます。
郷土館前に建てた看板 展示物のパネル配置計画図
江戸時代は子供の死亡率がとても高く、7歳まで育つことが困難だったようです。そのため、七五三の催しが切実だったことが分かります。平生町佐賀の、とあるお大師堂には「たくさんの子供が亡くなったため建立された。」との言い伝えがあります。飢饉や疫病が発生すると、最初に子供が犠牲となったのでしょう。
左は約400年前の田布施の地形 右は田布施町の合併・分離の歴史
江戸時代は今から150年~400年位前のことで、現在の人には想像もつかない時代だと思います。当時を理解していただく一つとして、今の田布施川が無かった400年位前の地形図を展示しました(※田布施川は人工の川で、400年位前には存在しない)。そして、今の田布施町は昭和30年に合併してできましたが、それまでの400年間の合併・分離の歴史も図示して分かりやすく説明しました。
さて、何人位の方が郷土館に来館されるでしょうか?
「田布施町 江戸~昭和の自然災害に学ぶ」展の準備をする郷土館職員
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郷土館 「田布施町 江戸~昭和の自然災害に学ぶ」展の準備
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