上関町の大津を出ると、池ノ浦トンネルを抜けて柳井市に入りました。このトンネルは平成10年に完成しました。それまで、上関町大津と柳井市池ノ浦の間は不通でした。20年位前にこの周辺を調査した時、トンネルを工事中だった事を覚えています。今は便利になったものです。
池ノ浦神社 相ノ浦神社 相ノ浦からの柳井方面
20年位前でしょうか、池ノ浦トンネルが完成する前に池ノ浦に来たことがあります。ここに小さな池のようなものがあり、そこに平家が船を隠していたとか。その場所を源氏に見つかり戦闘があったそうです。平家は負けて一部が皇座山に向けて逃れたとの話を聞いたように思います。20年位前、その池ノ浦でハス芋をいただきました。そのハス芋、どこに植えたか忘れてしまいました。池ノ浦を出ると、相ノ浦神社に行きました。相ノ浦まで来ると、少し疲れたので海辺で休憩を取りました。
やっと見つけた平生町秋森の伝光庵
相ノ浦近くに来た頃、日が傾き始めていました。そのため、ここで神社のお参りを止めることにしました。そこで、柳井方面に行くのは止めて、尾国に戻りました。そして、どうしても見つからなかった伝光庵を再度探すことにしました。そして、小郡を探して見つからず、秋森の西側の道を駆け上がってみました。すると、丘の上にお地蔵様が見えてきました。その丘の上に続く階段を登ると、そこに伝光庵を見つけました。
伝光庵安置のお地蔵様1 同安置のお地蔵様2 庵から続くお地蔵様群
伝光庵は秋森集会所の隣にありました。他の庵や大師堂などでは、集会所内にお地蔵様や祠が安置されていますが、ここは集会所と庵が別部屋になっていました。伝光庵に隣接するように集会所が建てられたことが分かります。そして、伝光庵から裏山に向かってお地蔵様が並んでいました。田布施町川西大田の虚空堂や麻郷戎ヶ下大師堂なども同じようにお地蔵様が裏山に続いています。
伝光庵から裏山に続くお地蔵様群
田布施町や平生町のこうした庵,大師堂,薬師堂などを調査すると、これらの古い建物をどう残すかの苦労が分かります。多くの庵や大師堂は壊され、その跡に集会所が建て替えられています。そして、お地蔵様や祠が集会所に再度安置されているケースがとても多いのです。しかし、伝光庵は古い建物をなんとか残そうとしたようにみえます。例えば、田布施町犬田の場合は大師堂の隣に別棟として集会所が建てられています。
伝光庵を見つけた頃、日がだいぶ傾いていました。そのため、いったん我家に帰ることにしました。次日に残りの上関半島の神社をお参りすることにしました。
初詣のために通った、麻郷,平生町,そして上関方面のコース
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麻郷,平生町,そして上関方面の神社を初詣(5/x)
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