その後、ソバのお店がないか探しながら歩きました。しばらくして、お年寄りが経営しているらしい昭和風なソバのお店に入りました。自家製ソバが売りのお店でした。道に面した窓からソバを作っている様子が見えるのです。ソバのお店を探して少し疲れました。しばらく待っているとソバが出できました。自家製ソバらしく、麺の長さや厚さが均等ではありません。小麦の配分が多いためか硬めのソバでした。つゆに入ったネギも自家製とのことでした。談笑しながら自家製ソバを美味しく食べました。
自家製ソバのお店 美味しかったソバ 徳富蘇峰の石碑
念願のソバを食べると元気いっぱいになりました。お店を出ると、ひたすら袋田駅に向かって歩きました。しかし、相変わらず私は史跡などを探しながらキョロキョロしながら歩きました。すると、道端に貴重な史跡を発見して嬉しくなりました。一つ目は徳富蘇峰の石碑です。もう一つは関鉄之助の石碑です。関鉄之助は幕末水戸藩の志士で「桜田門外の変」の実行部隊の指揮者です。こんなところで関鉄之助に会えるとは思いもよりませんでした。「桜田門外の変」に関わる映画には必ず彼が出ています。この袋田で郷校を作ったり、桜田門外の変後に潜伏していたことがありました。そのため、袋田に彼の石碑が建てられているのでしょう。捕縛後に非業な最後をとげました。
袋田の滝の展望台で500円を見失いました。家内が言うのには、きっとそのお礼として滝の神様がこの史跡を見つけさせてくれたのだとか。私にとっては500円以上の価値がありました。
左側が関鉄之助の石碑
ところで、関鉄之助の石碑に土佐藩士の田中光顕の名前が刻まれています。田中光顕は土佐勤王党の一人で、幕末期に長州をはじめとする尊王を掲げる藩を行き来していました。第一次長州征伐では長州側で戦い、戊辰戦争では新政府側で戦いました。明治後も生き続け、2.26事件にも関係し、昭和14年に亡くなりました。昭和まで生き続けた貴重な幕末志士なのです。彼の業績の一つに多摩市にある旧多摩聖蹟記念館があります。
木調の袋田小学校 久慈川に架かった鉄橋
関鉄之助や徳富蘇峰の石碑を見終わった頃、私は家内達の列からすっかり離れてしまいました。小走りに後を追いました。途中、木造風の袋田小学校校舎を見学したり、久慈川に架かる石橋を渡って川を真上から見下ろしてみたりしました。関鉄之助の石碑を見たおかげですっかり上機嫌になりました。茨城県がますます好きになりました。袋田の滝近くに徳川斉昭の石碑があるようなのですが、次回の楽しみに取っておくことにしました。
夕飯に大洗でお寿司 大洗で乗った単車両 水戸駅のホテルメッツ
袋田駅に着くと家内達が待っていました。久慈川に沿う水郡線の電車に乗って水戸に戻りました。水戸駅に着くと、夕食をどこで取ろうかとの話になりました。結果、鹿島臨海鉄道大洗鹿島線の大洗駅まで行ってお寿司を食べることになりました。大洗駅から3km位歩いて、新鮮処森田と言う回転寿店に着きました。ご飯が見えないほどの具の大きさでした。満腹後、大洗駅から単車両の電車に乗って水戸駅に戻りました。そして、ホテルメッツに入りました。500円のおかげでしょうか、関鉄之助に会えました。こんな良い一日はそうそうありません。ぐっすり寝ることができました。
JR袋田駅~袋田の滝の歩いたコース約3km
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茨城県 袋田の滝周辺ウォーキング(4/4)
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