上関町の朝鮮通信使講座第1回目に続いて、第3回目に行ってきました。第2回目は仕事の都合で行けなかったのは残念でした。今回講座を担当された広島大学客員教授は、広島を中心とする瀬戸内海の観光に詳しい方のようでした。今回行った第3回目は、私の解釈では「朝鮮通信使を、どのように今の上関町の観光に生かすか。」だったように思いました。
朝鮮通信使と瀬戸内海について解説される先生
上関町以外にも瀬戸内海で朝鮮通信使を迎えた町があります。その町の試みについての事例説明もありました。ところで、田布施町は朝鮮通信使との関りを示す記録がありません。しかし、朝鮮通信来航時には麻郷米出にあった上関宰判勘場が何らかの役割をしていたのではないかと思います。
朝鮮通信使パネルを見ている方々 朝鮮通信使に出していた豪華な食事
江戸時代に馬島は上関に含まれていました。そして、朝鮮貿易を認められていた対馬藩の宗家に取り入って貿易をしていたとの記録があります。おそらく、宗家の従者と偽って釜山の倭館で貿易に関わっていたのでしょう。例えば、柳井縞を別名で取り扱っていたとの記録があったように思います。倭館は、ヨーロッパと貿易していた長崎の出島のようにも思えます。
朝鮮通信使が乗っていた船の陣形などに関わるパネル
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上関町 朝鮮通信使講座 第3回目に出席
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