今月の史跡巡りウォーキングは、主に田布施町と光市の境界である千坊山を歩きます。私が高校生の頃、自転車で麓まで行って自転車を置き、歩いて千坊山まで行きました。そして、頂上から周防灘を見下ろしたことがあります。その時、歴史的な事を先生から聞いたように思います。しかし、その時はそれほど歴史に興味がなかったため、景色が良かったことくらいしか覚えていません。
出発した国木小跡 散った河津桜数本 立派なお地蔵様
今回出発したのは光市に使い国木小学校跡です。そこから古道を通って大峯峠に向かうことにしました。今回歩いた古道は、江戸時代に司馬江漢が歩いた道です。司馬江漢は「西遊日記」天明8年(1788)9月28日で田布施について次のように書いています。「多武瀬村あり、染物屋多し。是より岩国領に非ず。羽野の市と云う村を過ぎ此処にて休む」。この記述から、当時すでに田布施町には多くの染物屋があったことが分かります。今の新町近くで休んだのでしょう。
石垣に囲まれたお地蔵様 移転したお地蔵様 国木の屏風岩
古道を歩いていると、いくつかお地蔵様がありました。お地蔵様の一つに、道の向かい側の竹林から移転したお地蔵様がありました。近くで農作業している方に聞きましたが、移転したこと以外あまり詳しいことは聞けませんでした。明治時代に安置された後、何年か前にここに移されたとのこと。
なかなか立派で巨大な国木の屏風岩
さらに歩いていると、田んぼの向こう側に立派な屏風岩が見えてきました。祠も何もないので、地元ではただの巨石扱いなのではないかと思います。町中にあれば必ずご神体になっていてもおかしくない巨石だと思います。その後どんどん歩いていると、大峰峠の十字路に着きました。この峠を越えると光市になります。
やっと到着した大峰峠 トイレの場所を確認 やすらぎの広場の坂道
十字路の道を右に行けば光市冠山総合公園に行きます。正面の道を行くと、光市の室積に降ります。そして、左に行くとコバルト台地に行きます。今回は左に行きました。左にしばらく進むとトイレがあり、さらに進むとやすらぎの広場への坂道が見えてきました。お昼になったため、やすらぎの広場でお昼休憩にすることにしました。
昔は眺めが良かったやすらぎの広場でお昼休憩