火伏地蔵尊を見終わると、次に岩政信比古(さねひこ 1790~1856年)邸宅跡に行きました。読売新聞だったでしょうか、先日この邸宅発掘ニュースが掲載されていました。私は行けなかったのですが、現地説明会がありました。柳井市に住んでいた国学者で月性との交流があった人です。ちなみに田布施町の漢学者亘理南山とほぼ同世代です。両者共に幕末直前に亡くなっています。
国学者岩政信比古の邸宅跡
岩政信比古邸宅跡の隅に信比古碑が建っています。比較するわけではありませんが、亘理南山の方が立派な石碑です。亘理南山の石碑には功績や称える文章が刻まれています。しかし、岩政信比古の石碑には名前が刻まれているだけです。また、亘理南山の屋敷は平生町大野に移築されて今に伝えられています。岩政信比古邸宅はどうして残らなかったのでしょうか。継ぐ人がいなかったのでしょうか。
簡素な岩政信比古の石碑 線路を超えて毘沙門堂に
続いて、山陽本線を超えて次の史跡である毘沙門堂に行きました。土穂石川沿いにある小さなお堂です。このお堂は地元の方に守られているのでしょう、花が活けられていました。続いて石風呂に行きました。前回は誰もいなかったため、外からしか見学することができませんでした。今回、奥様がおられたため石風呂を見学することができました。石風呂の内部などを見させていただき、ありがとうございました。
見させていただいた石風呂営業時の絵図
石風呂は、石でできたとても大きなドームです。中に8人位は十分に入ることができます。石風呂の右隣に火を焚くことができる口がありました。この口に木を入れて燃やすのだと思います。なお、石風呂の手前に藻を置いた箱がありました。石風呂に入る時にその藻を使うそうです。
営業当時の石風呂写真 藻を見せていただく 石風呂入室時の衣服
石風呂で使う藻はアマモと呼ばれる海草です。ワカメや昆布などは胞子で増えますが、アマモは種で増えます。種子植物なのです。そのため、海面上に花が咲いて、花粉はヨットように海面を漂うとても変わった海草です。石風呂の営業開始前にこの海草を刈り取っておくのでしょう。その海草(アマモ)は、土穂石付近では見られませんが、伊保庄の海岸では今でもたくさん生えています。
石風呂の次に大師堂 Oさんの家に寄らせていただく
石風呂を見学し終わると、大師堂に行きました。そして、出発した新庄Mavaluに戻りました。新庄Mavaluに到着すると、車(私はバイクで)でOさんの家に向かいました。家に着くと、Oさんが待っていました。玄関隣の一室で楽しく談笑しました。子供の頃の話、小中高校時代の話などで盛り上がりました。飲物などご馳走様でした。
今月のウォーキングは、蒸し暑い夏でもあり8km程度としました。
史跡巡りウォーキングの下見をした柳井市新庄方面ルート