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Channel: 東京里山農業日誌
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光市 島田川沿い史跡巡りウォーキングの下見(4/4)

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 千歳橋からさらに島田川の河口に向かってしばらく歩くと新千歳橋に着きます。江戸時代は千歳橋が一番河口側の橋だったのでしようが、今は新千歳橋が一番河口側です。その新千歳橋左岸の河口側数mの場所に立石孫一郎の石碑が建っています。彼は幕末、第二奇兵隊を脱走したのです。

        新千歳橋左岸の河口側に建つ立石孫一郎石碑


 彼は元々は岡山県出身のようで、どういう経由か第二奇兵隊に入隊しました。岡山県に何らかの遺恨があったのか、又は水戸藩天狗党や戸津川村天誅組に誘発されたのか、岡山県の代官所を襲いました。しかし、脱走時に第二奇兵隊の上司であり参謀であった楢崎剛十郎を惨殺してしまいました。岡山から戻った所を千歳橋で待ち伏せされました。当時の奇兵隊は、隊員に軍規を守らせるのが大変だったようです。
 幕府側で京都の治安を任されていた新選組も規律は絶対でした。そのため、規律を守らない隊員は同志でもあっても即座に切腹か斬首など過酷でした。第二奇兵隊も新選組ほどではないにしても、駐屯地であった石城山に刑場がありました。

  島田川河口の住吉社    周防灘を眺める      河口から上流を見て
  

 第二奇兵隊は血気ばやる若者が多かったようで様々な事件を起こしています。立石孫一郎の脱走前にも、未遂の脱走事件がありました。この事件は隊員の説得で収まったようです。戊辰戦争後、今度は脱退事件がありました。平生町などでも騒動がありました。これらの事件に関わった若者の多くが斬首されました。田布施川にもその刑場がありました。その刑場近くにお地蔵様が安置されています。

           波と風の音だけが聞こえる穏やかな海岸


 島田川河口近くにある住吉社をお参りした後、島田川河口に出ました。河口の右岸側は広々として砂浜が続いていました。その砂浜を歩いて、はるか向こうに見える虹ケ浜に向かって歩きました。虹ケ浜は夏場海水浴客でごった返しますが、今の時期は波の音だけが聞こえる静かな海岸でした。

    喫茶店に入って疲れを癒す      JR光駅から電車でJR田布施駅に 
 

 虹ケ浜に着くと、松林に入りました。そして、JR光駅に向かってのんびりと歩きました。途中喫茶店に入ってなごみました。私はアイスコーヒーとアイスクリームを頼みました。40分位談笑したでしょうか。休憩が終わるとJR光駅に行き、電車でJR田布施駅に戻りました。下見、お疲れ様でした。

                       島田駅から島田川沿いにウォーキングした下見コース


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