次の14日朝、最初にグラバー邸に行きました。市電に乗ってゆらゆら進んでいると、10分位で大浦天主堂下停留所に着きました。停留所を降りて緩い坂を登っていると、大浦天主堂が見えてきました。今回は、グラバー邸が目的ですので、大浦天主堂は写真を撮ったり見るだけにしました。坂がだんだんきつくなった頃、グラバー邸入口です。入場券を購入しました。中に入ると、驚いたことに上に向かって動く歩道がありました。40年前はありませんでした。
市電でグラバー邸に向かう 動く歩道で上へ上へ 旧三菱第2ドッグハウス
動く歩道を乗り継いで、グラバー邸の一番高い場所にある旧三菱第2ドッグハウスに着きました。ここから下を見下ろすと、グラバー邸全体を見下ろすことができます。庭園内には池があり錦鯉が泳いでいました。ここから、坂を下りながら庭園内ほぼすべてを散策しました。
旧三菱第2ドッグハウスからグラバー邸を見下ろして
坂を下りて行く途中にいろいろな邸宅跡があります。その一つである、旧ウォーカー邸に入ってみました。続いて、旧リンガー邸にも入ってみました。旧リンガー邸裏に三浦環記念館がありました。プッチーニ作の蝶々夫人を歌った世界的な日本人だそうです。蝶々夫人と言えば、超有名でそのメロディを知らない人はいません。また、個人的にはマリアカラスの蝶々夫人が好きです。
ところで、この蝶々夫人の話の大元はグラバーの日本人妻ツルから来ているのこと。また。シーボルトにも日本人妻お滝がいました。これらの話がいろいろ混じり伝わって蝶々夫人のお話になったようです。
面白いのは、現実にはツルにしてもお滝にしても、現地妻を仕事としていたようです。その証拠に、ヨーロッパに夫が帰るとさっさと再婚してしまうのです。今の日本人であれば現地妻を避難の対象にするでしょう。しかし、当時の日本では奇異な目をもたれたでしょうが、差別の対処はならなかったようです。生まれた子供もさして差別を受けず立派に育っています。シーボルトの娘は日本初の女医になりました。今の日本は、キリスト教の結婚観を当のヨーロッパ以上に厳格に当てはめすぎているようにも思えます。そのため、シングルマザーや私生児の差別問題で苦しんでいるように思えます。
旧リンガー邸 長崎港の巨大旅客船 三浦環記念館
旧リンガー邸を出ると、池の中に三浦環の像があるのを見ました。今考えれば、私はオペラがさっぱり分かりません。唯一、子供が小さいときに子供向けのオペラ(確か夕鶴)を見たくらいのものです。若い頃にオペラに親しんでいれば、この長崎に来て蝶々夫人をより感慨を持って知ることができたのにと思いました。三浦環像の向かい側にグラバーカフェがありました。少し歩き疲れていたので入りました。2階が喫茶室になっていました。室内はとてもシックな作りで、我々しかいなかったため静かに楽しむことができました。
とてもシックな作りのグラバーカフェ
クラバー邸に入った頃、中国からの旅行客の団体がたくさん来ていました。とても賑やかな人達でしたが、グラバーカフェから出た頃には誰一人いませんでした。長崎港に係留された旅客船から出て長崎を見学していたようです。その旅客船は、10階建てのビルがそのまま船になったような巨大船でした。かつての日本人も最初は、彼らのように団体で世界旅行していたのでしょう。
グラバー邸にて グラバー邸の裏庭
グラバーカフェを出ると、階段を降りてグラバー邸に行きました。40年前に長崎で仕事をしていた時に来たはずなのですが、詳細をどうしても思い出せません。当時、歴史にそれほど興味がなかったからなのでしょう。グラバー邸に志士達が逃げ込む部屋があることを初めて知りました。裏庭にもとても興味を持ちました。ここで、グラバー邸の料理人が野菜を作ったり貯蔵したり肉を調理していたようです。幕末期の志士達は、ここでヨーロッパ人の生活を目にしたのだと思います。
14日午前、長崎市内を散策したルート