探していた岡本家、歩きながら大野八幡宮の近くにありそうだと確信を持てるようになりました。しかし、地図に示されていなかったため最初は全く分かりませんでした。園田地区近くにある岡本家で聞いて初めて大野八幡宮傍にあることを知りました。本番ウォーキングまでに再度、大野八幡宮を訪れて聞いてみようと思います。
園田地区を訪れる 木の下に安置された祠 何の木の実か?
大野八幡宮を過ぎると園田地区に行きました。最初、園田地区の上の方に向かう道を行きました。すると、椿か何かの大木の下に祠が安置されていました。そして花が活けてありました。この地区のどなたかが供えたのでしょう。さらに道を進むと神護寺方面に進むようでした。そのため、道を引き返しました。その途中、不思議な木の実がなっている大木がありました。落葉樹のようですが何の木でしょうか?
園田集会所(四国四十三番弘法大師堂)に到着
道を戻ると、園田集会所に行きました。しかし、私が3年ほど前に訪れた園田集会所と建物の様子が変わっていました。一番の違いは「四国四十三番弘法大師堂」の木札が外されていたことです。また、太鼓が下に降ろしてあったことです。また鐘の位置が変わっていました。建物を修繕するか再建した時に変えたのではないかと思います。また、この集会所が「四国四十三番弘法大師堂」と言われる理由を知りたいところです。
陰平地区の神護寺への分かれ道 陰平地区の大岩と祠
園田集会所を見学すると、陰平地区に向かいました。陰平地区に着くと、最初に大岩の上に安置された祠を見学しました。平生町の大野や曽根の山には多くの大岩が露出しています。しかも、どの岩も丸みを帯びています。露出と丸みをおびている理由を知りたいところです。
陰平道脇のお地蔵様 陰平地区山側を振り返る 神領川沿いの無記名石柱
大岩の祠を見終わると、近くの岡本氏の家を訪ねました。この岡本家の方のお話で、私が訪ねたかった岡本家が大野八幡宮傍にあることを知りました。続いて道を下がっていると先日火事にあった家がありました。その燃え落ちた家の横を通って神領川の対岸に行きました。そして、道傍のお地蔵様をみました。さらに川を下っていると、無記名の丸みを帯びた石柱を見学しました。何かの理由で文字が削られたように跡がありました。
今回の平生町大野南ウォーキング下見ルート
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平生町 大野南の史跡巡りウォーキングの下見(2/x)
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