先日、田布施地方史研究会主催の第7回史跡探訪に行ってきました。マイクロバス手配、弁当手配、参加確認などで、また当日の参加費徴収などで気疲れしました。特に、一人の不参加者で赤字になるので、全員参加することを祈っていました。しかし、一人の方が、時間になっても来ないので赤字を覚悟しました。ところが、出発してしばらくして「30分時間を間違えてしまった。」との連絡が入りました。そして、その方が車で追いかけてきて全員参加となりました。やれやれ、ほっとしました。
幕末防長四白政策の一つ、和ろうそくの原料になったハゼの巨木
最初に訪れたのは後井古墳です。私は何度も行ったので目新しいものはありませんでしたが、毎度のことながら石室内の巨大な石には圧倒されます。続いて、幕末時に防長四白政策で生産された和ろうそくの原料になったハゼを見ました。明治になってからハゼは伐採されましたが、今回見たハゼだけは根本に祠があったため伐採を免れました。伐採されないまま150年経ち、今では巨木になっています。歴史の生き証人と言えるでしょう。
集合した中央公民館 後井古墳を見学 後井古墳の石室内
続いて周善寺に行きました。明治始め、このお寺は奇兵隊の脱退兵に襲われました。その結果ご住職が亡くなりました。その時の刀傷が柱に残っています。また、広島の原爆資料館近くにあったお寺のお地蔵様がこのお寺に安置されています。原爆資料館を無宗教施設にするため、このお地蔵様が追われたとのこと。次に、富永有燐顕彰碑に向かいました。
昭和11年建立の富永有燐顕彰碑 本堂に上がらせていただいた了法寺
富永有燐顕彰碑を見終わると、予定になかった富永有燐墓所に行きました。そして、次に了法寺に行きました。たまたまご住職の奥様がおられ、本堂に上がらさせていただきました。続いて、円満寺に行きました。このお寺はかつて幼稚園を経営していました。城南地区に住む方々の何人かは、幼児期にこの幼稚園にお世話になったのではないでしょうか。円満寺を出ると、昼食休憩する石の口八幡宮に向かいました。
富永有燐墓所 変わった祠と石 幼稚園があった円満寺
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田布施町 第7回史跡探訪 地方史研究会(1/2)
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