今年から来年にかけて、田布施川の河口から源流に向けて川沿いにある史跡を見ながら散策する6回シリーズを計画しています。河口から源流まで一度で歩くことは出来ないため、6回に分けました。今回は第1回の下見で、田布施町側の河口から八海橋まで歩き、途中にある史跡などを見ながら下見をしつつ距離や時間を測ってみました。ちなみに、この田布施川沿い史跡めぐりの2回目は、春に田布施川の平生町側の河口から上流に向かって散策する計画です。
麻里府の別府バス停で降車 麻里府公民館前の国木田独歩碑
スタートしたのは田布施町麻郷八海のバス停留所です。ここから10:00のバスに乗って麻里府別府バス停留所に着きました。ここから、のんびり八海に向かって川沿いを歩きました。バスに乗ったのは久しぶりのことです。乗っていたのは私を含めて4人程度でした。バス料金は確か270円でした。バス停から降りて歩き出すとすぐに、お地蔵様やミツバチの巣箱がありました。
漁船が係留された麻里府漁港 麻郷小学校の前身「成器堂」跡
しばらく歩くと、麻里府公民館がありその敷地内に国木田独歩の碑がありました。その碑を読んだ後、麻里府漁港に行きました。数人の方が働いてしました。麻里府をのんびり歩いて、次に戎ヶ下を通りました。戎ヶ下には江戸時代(天保6年創立)の郷教「成器堂」跡があります。田布施町史によると、この「成器堂」が麻郷小学校の前身と書かれています。20人も入れないような狭い敷地が、今の麻郷小学校になったのかと思うと驚きです。しばらく歩いて、南周防大橋が完成する前に使われていた水場と戎ヶ下を結ぶ渡船場跡も見ました。
戎ヶ下の田布施川沿いを歩く、南周防大橋や風車を遠望
麻郷の浜城に着くと、少し休憩することにしました。その前に、南周防大橋の麻郷側十字路にあるコンビニに寄って飲み物を調達しました。そして、トイレを使うことができることを確認しました。橋の入口近くに6人位が座れる石のテーブルとイスがありましたので、そこでしばらく休憩することにしました。麻里府別府バス停留所からここまで、3.4Kmでした。
南周防大橋の石テーブルで休憩 南周防大橋の真下を歩く
南周防大橋を車などで通ることはあっても、その橋の裏側を通ることはまずありません。今回は、橋の裏側を見ながら下をくぐるように歩いて通りました。この付近は、私が子供の頃は埋め立てされておらずよく潮干狩りにきていました。また、今では天然記念物になっているカブトガニが大量に生息していました。私もそのカブトガニを何匹もバケツに入れて持って帰ったことがありました。
太陽光メガソーラー発電所工事現場 米出の船着き場跡
埋立地をぐるりと田布施川側を歩いていると、対岸の鳥越側埋立地で太陽光メガソーラー発電所の工事をしている現場を見ることができました。まだ太陽光パネルは全面的に敷き詰められていませんでした。一枚だけパネルが敷いてあり、数人の人だかりがありました。太陽光パネルのテストか工事手順の打ち合わせをしているのでしょう。テレビで放送していた田布施のメガソーラー太陽光発電所はここではないかと思われます。このウォーキングを実施する11月末、もしかして太陽光パネルがだいぶ敷かれているかも知れません。メガソーラー発電所工事現場を過ぎると、米出に着きました。
鳥越側の砂浜から平生町曽根側を見て
米出には、江戸時代ここに置かれていた「上関宰判勘場」跡があります。この米出港から麻郷で獲れたお米を出荷していたのではないかと思います。「米出」の地名の由来が分かる史跡です。米出を過ぎると鳥越地区に向かいました。私が小学6年生の頃、この付近の国道188号線に沿って大量のカンナを植えました。東京オリンピック記念としてです。暑い真夏、小学生全員でクワを持って並んで植えました。そして秋、オリンピック聖火をここで迎えました。しかし、そのカンナは10年位前に歩道整備のために無くなりました。
三つの国道188号線、右は明治期、中央は今、左は10年ほど前の国道
鳥越を過ぎて八海地区の田布施川沿いを歩き続けました。この付近の河口では昔、アサリやエビがたくさん獲れました。しかし、近くに化学工場ができてからは獲れなくなりました。残念なことです。八海橋近くには、三つの国道188号線が走っています。その三つの国道を歩いた後、八海バス停留所に到着しました。麻里府別府から歩いた距離(ウォーキングメーターの値)は7865.0mでした。ウォーキングとしては標準的な距離です。ほどよい疲れで到着することができました。
終点の八海バス停留所 ウォーキングメーターの測定値
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田布施川沿い史跡めぐりウォーキング6回シリーズ(その1)の下見
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