4月上旬に下見をした周南市小松原地区の史跡巡りウォーキングをしてきました。下見時は肌寒かったのですが、今回は半袖でもよいほどの暖かさでした。ウォーキングの途中で薄着に着替えたり、汗をかくので何度も給水したりしました。さて、下見時と同じように、田布施町交流館に9:30に集合しました。そして、私の車を含む2台で周南市徳修館に向かいました。到着すると、さっそく小松原地区の史跡を巡るため歩き出しました。本当に良い天候で、紺碧の空に新緑の緑がいっぱいの中を楽しく談笑しながら歩きました。さすがに桜の花は散っていましたが、桜の木は若葉で溢れていました。
熊毛北高校近くにあったものを徳修館に移設した弁慶穴古墳を見学
徳修館を出ると、最初に宍戸親基公顕彰碑を案内しました。毛利家は今の神奈川県が発祥ですが、宍戸家は茨城県が発祥です。茨城県には今でも宍戸の地名が残っています。江戸時代には藩があり、明治初期宍戸県がありました。そののち茨城県に吸収されました。今は笠間市の一部でJR宍戸駅に名前を留めています。時たま宍戸の地がニュースになることがあります。
出発した徳修館 円墳の弁慶穴古墳 徳修館の建物
宍戸家の説明が終わると、近くにある弁慶穴古墳に行きました。移設しやすいようように石室の石には番号が振られています。去年の地震で石垣の一部が崩れた熊本城の石垣、やはり再建しやすいように石垣一つ一つに番号が振られています。続いて、幕末に宍戸家が建てた徳修館の建物を見学しました。家臣に文武両道の教育をするために宍戸家が建てたとのこと。徳修館下の広場には、巨大な孔子像が立っています。この孔子像から、儒教を推奨していたことが分かります。
徳修館下広場の孔子像 周北霊場のお堂 中村川沿いの祠
孔子像を見上げて見学した後、島田川に向かって進みました。細く長い歩道専用橋を渡ると、周北霊場のお堂と向かい側に鎮座する祠を見学しました。その後、島田川に沿う堤防を上流に向かって歩きました。15分位歩くと、小さな川である中村尻川の河口近くに着きました。その河口近くにある祠に着きました。この付近は、去年のように大洪水が起きやすい土地柄のようです。そのため、島田川や中村尻川が氾濫しないよう祈願した祠かも知れません 。ちなみに川の河口のことを尻と呼ぶことがあります。そのため、中村尻川は、中村川の河口のことを差しているのではないかと思います。
延々と続く島田川堤防を歩く 橋の袂で着替え及び給水休憩
中村尻川に架けられた小さな橋を渡ると、延々と続く島田川堤防を上流へ上流へと歩きました。日差しを遮る木立はありません。そのため、歩いているとだんだん汗ばんできます。女性陣は日差しに備えて日傘を持って来ていました。これからのウォーキングには日傘が必要ですね。30分位歩いたでしょうか、橋の袂で着替えと給水のための休憩をとりました。
小松原周辺の島田川に沿うウォーキングコース
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周南市 小松原周辺 史跡巡りウォーキング(1/x)
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