柳井市伊保庄の山近地区をいったん小川沿いに戻り、福井畑地区に向かってやっと車が一台通れる登り坂を上りました。これから先は初めていく地区です。田布施や平生側から見て、大星山や箕山の向こう側になる地域です。小川に沿ってどんどん登りました。
山近地区から下がった地域 福井畑への上り坂途中のお地蔵様
登り坂の途中、農作業をしている方に福井畑の場所を聞きながら登りました。しばらく登った後、稲を刈り取った田んぼから海を振り返りました。すると、青い海の向こうに大島などの島が見えました。この地域に住んでいる方々はその昔、坂を上り下りして歩き大変だったのではないかと思いました。
福井畑近くの稲刈りが終わった田んぼ、振り返ると海が
福井畑の話は、母親からよく聞きました。母親の祖母(私の曾祖母)がこの福井畑の出身で、母親が小さいころ福井畑によく遊びに来たとのこと。母親が子供の頃よく遊びに来た、私の知らない曾祖母の実家を訪ねてみました。しかし、呼び鈴を押しても誰もいませんでした。その家の廻りを見ると、祠かお地蔵様が祭ってある小さな小屋がありました。
曾祖母の出身、福井畑の山崎家 祠かお地蔵様が祭ってある小さな小屋
その家に誰もいないので、がっかりしながらさらに山を登って大星山に向かいました。ところが途中で道を間違えてしまったようです。困ったなと思っていると、道のそばの田んぼで野焼きをしているおじいさんがいました。その方に正しい大星山へ登る道を教えてもらいました。そのおじいさんと談笑しながらその方の名前を聞くと、まさに私の曾祖母の実家である山崎家の方でした。驚きました。その方は、母親から聞いたことがある、徳山から山崎家に養子に来られた方でした。
探していた山崎家の方 柳井100選の福井畑の棚田
先を急いでいたため、山崎家のおじいさんとはゆっくり話ができませんでした。私の母親や曾祖母のことを聞きましたが知っていませんでした。その山崎家に「96歳のおばあさんがいるので、それに聞けば覚えているかも知れない。」とのことでした。その96歳のおばあさんが養女でなければ、私の曾祖母や母親のことを知っているかもしれません。曾祖母は昭和27年頃(1952)に亡くなったそうです。96歳のおばあさんが35歳の頃ですので、知ってる可能性があります。今度の機会に福井畑を訪問しようと思います。
福井畑奥の崩れかけた段々畑、石垣跡がむなしい
大星山に向かう正しい山道を進むと、人家が絶え牧場がありました。荒れ果てた段々畑に牛がポツンと放牧されていました。群れで放牧するではなく、一頭一頭が離れて放牧されていました。私が山道を行くと、牛が興味深かそうに寄ってきました。この付近は柳井市の棚田100選に選ばれていますが、山の上に進むほどその棚田は荒れ果てていました。高齢化と共に荒れ果てていったのかなあと思いました。荒れ果てた棚田の石垣は、遠い昔から祖先が苦労して作り上げてきたのだと思うと残念でなりません。
ポツンと放牧されていた牛 大星山付近から福井畑奥を見下ろす
牧場からさらに山道を進むと、やがて林の中に入っていきました。しかし、車一台が通る道幅が尾根道まで続き、傾斜も比較的ゆるやかでした。このため、舗装されていないにも関わらず登りはとても楽でした。時折り、木々の間から垣間見える伊保庄や福井畑を見ながら休みました。
左下の丸から順に、福井畑奥の牧場,福井畑,そして伊保庄
山道をどんどん進むと、やっと大星山に続く尾根道に出ました。時間がないため、大星山山頂に向かわないで佐賀方面に下る道を選びました。そして、どんどん下って佐賀に着きました。その後、平生方面に向かい、南周防大橋を渡って麻郷の我家に着きました。
なお、今回初めてGPSなるものを使ってみました。地図上の自分が通った道をプロットしてくれます。我家に帰った後パソコンで、地図上にプロットされたGPSポイントを見ました。GPSを使うと、地図上のどこを通ったかはっきり分かります。また、どこで道を間違えそうになったのか明確に分かります。次回、同じ道を通る時の参考になります。
地図にプロットされたGPSポイント、どこで迷ったかなど明確に
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柳井市 伊保庄方面を散策(2/2)
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