出会い地蔵尊を過ぎると、西方寺に向かいました。出会い地蔵尊からの緩い下り坂を300m位降りると西方寺の参道が見えてきました。西方寺を参詣するため参道の石階段を登りました。20m位急な石段を登ると西方寺の山門です。山門をくぐると西方寺本堂は目の前です。西方寺は幕末期に義勇隊の屯所があり柱に刀傷が残っているとのことですが、時間がなく下見では確認できませんでした。また、同幕末期に高橋利兵衛が自決した場所でもあります。当時の義勇隊士はこのお寺でどのような生活をしていたのでしょうか。第二奇兵隊が駐屯していた専福寺と同じような厳しい訓練が行われていたのでしょうか。
旧長命寺跡付近の荒れた巡礼道を巡る
なお義勇隊が上関を留守にしていた時、義勇隊の代わりに円立寺の僧坊隊が駐屯して治安維持をしていたようです。僧坊隊は。維持費困難のため短い間だけ存在しました。珍しくお坊さん達で構成された奇兵隊諸隊の一つです。円立寺の山門前にその石碑が建っています。この円立寺は清狂草堂(妙円寺)の月性と親戚にあたります。
西方寺の急な石階段 石階段上の西方寺山門 旧長命寺跡付近
西方寺の本堂や鐘撞堂を見学すると、裏回りの道を降りて石階段の下に戻りました。そして、江戸時代にあった旧長命寺跡に向かいました。今ではお寺があったとは思えないほど草が生えており、それらしい跡もありませんでした。明治初期の廃仏稀釈で、廃寺になったか移転したのではないかと思われます。続いてお大師山に登りました。急な山道を10分位登ると大師堂に到着です。立ったまま休憩後、巡礼ルートを反対側に下りました。反対側ルートを降りていると、閉められたお堂がありました。さらに下っていると、なんと1番個所のお地蔵様がありました。正規とは逆の巡礼ルートを歩いてしまったようです。
お大師山巡礼ルートのお地蔵様 室津の旧繁華街を散策
お大師山巡礼ルートから戻ると、室津の旧繁華街を歩きました。そして、清水石油店傍の船つなぎ石を見学しました。なお、清水石油店のsさんのお話では、かつて船つなぎ石よりさらに10m位山側が海岸だったそうです。その当時、この石に紐を結んで船を係留したのでしょう。次に、六角井戸、四階楼に行きました。最後に、道の駅でビワアイスをいただきました。とても美味しかったです。しばらく休憩後、平生町のJA南すおう平生支所に戻りました。下見ウオーキングに参加された方々、お疲れ様でした。
石油店傍の船つなぎ石 珍しい形の六角井戸 美味しかったビワアイス
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上関町 室津の史跡巡りウォーキング下見(3/3)
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