7月に西九州を史跡探訪した記録の続きです(最終)。遠藤周作文学館を出ると、外海(そとめ)地区の出津(しつ)集落にある外海歴史民俗資料館に向かいました。この資料館には、江戸時代から昭和30年代頃までに使われた古い道具や風俗が展示されていました。当時の家の中も再現されていて、私にとって一種懐かしい気持ちにさせる資料館でした。もっと展示を見たかったのですが、私以外はさっさと資料館の外に出てしまいました。後髪を引かれる思いで資料館の外に出ました。次に出津の教会堂を中心とした建物群を順次見学しました。
外海の出津集落のほぼ中心にある出津教会堂
憩いのパビリオンを見ると、ド・ロ神父記念館に行きました。記念館の中には、この地域の方々に技術を伝えるた品々が展示されていました。ド・ロ神父は明治時代に外海地区に来て、潜伏キリシタンだった方々の生活を豊かにするためにたくさんの技術を伝えました。展示品の中に、機械式編機がありました。明治時代にすでに機械式編機があったのですね。また、漁具に利用する網を作ったり補修する技術も伝えたようです。また小麦からバスタを作る技術も伝えたようです。現在お土産用として販売されているバスタの麺もその技法で作られているのでしょうか。
外海歴史民俗資料館 資料館内の展示品 旧出津救助院でお土産
ド・ロ神父記念館の見学が終わると、次に旧出津救助院に行きました。ここでバスタの麺などのお土産を売っていました。その時、バスタの麺を作っていたとされる建物を見たかっのですが、これまた時間が無く見ることができませんでした。続いて、出津教会堂に行きました。最初教会かと思ったのですが教会堂なのですね。教会と教会堂の違いは何でしょうか?それが分からないまま教会堂を見学しました。その後、外海歴史民俗資料館に戻りました。遠くの丘に遠藤周作文学館の建物が小さく見えました。
外海大野集落の大野教会堂 川登SAで遅めの昼食休憩
外海歴史民俗資料館を出ると、大野集落に行きました。この集落を含めて石積みに特徴があります。長崎に限らないのですが、海に面した集落は、ほとんどの場合平地がありません。そのため、石積みを工夫して田んぼや畑が作られています。主として海に依存した生活で、従としてわずかばかりの田んぼや畑に依存していたようです。斜面で生活するには石積みが欠かせません。さて、大野集落に着くと、石積みをうまく利用して作られた大野教会堂を見学しました。個人的にははゴシック建築の華麗な教会よりも、この大野教会堂の方が落ち着いた感じがします。
坂本八幡宮を参拝 筥崎宮を参拝 古賀SAでお土産を
大野教会堂を出ると長い家路につきました。途中、川登SAで遅めの昼食を取りました。確かここで、私はお土産の小城(おず)羊羹を買いました。しばらく高速を走って、令和に関わる坂本八幡宮を参拝しました。その後、三大八幡宮と言われる筥崎宮を参拝しました。蒙古襲来時の「敵国降伏」が本殿に掲げられています。日本史には必ず出てきますが、実物を見たのは初めてでした。筥崎宮を出ると、途中、古賀SAと美東SAに寄った後、一直線に田布施に向かって帰りました。今回の史跡巡りに参加された方々お疲れ様でした。特に、運転をされた2名の方、ありがとうございました。
訪れた、武雄~長崎~キリシタン史跡などのルート