踊子草の花の蜜を吸いながら、長谷の坂道を登っていきました。この道は町道のように思えますが、実は県道なのです。かつては伊保庄・阿月と平生を結ぶとても重要な道でした。今でこそ伊保庄・阿月に住む方々は、柳井市の中心街に簡単に行くことができます。しかし、旭橋が架かるまでは柳井は遠い道のりでした。一方で、峠を越えさえすれど容易に平生に行くことができました。
例えば、伊保庄・阿月の女学生は峠を越えて平生の女学校に通っていました。また、映画や演劇を見るために平生座に行きました。一方、平生の方々は伊保庄に潮干狩りによく行っていました。そして伊保庄・阿月の女性が平生に嫁ぐことも普通のことでした。それくらい、伊保庄・阿月と平生はこの県道で結ばれていたのです。ちなみに、私の母親は伊保庄から田布施に嫁いできました。
足元に注意しながら、竹藪のジャングルを走破
長谷の坂道をほぼ登りきると、弥生時代の吹越遺跡に到着しました。ここで立ち止まり、以前行った吉野ヶ里遺跡との共通点などをお話しました。吉野ヶ里遺跡より規模は小さいのですが、鉄の武器が見つかるなど、当時この付近でも争いが頻発したことが分かります。いわゆる倭国大乱の余波が平生にもあったことになります。その後大和王権に収斂した結果、この地域に前方後円墳がたくさん作られるようになります。
長谷の県道を登る 風車を真下から見学 竹藪ジャングルに入る
吹越遺跡の説明が終わると、すぐ近くの尾根道に出ました。この尾根道を南に向かって歩いていると、風車が見えてくると共に独特の音が聞こえてきました。風車の羽が風を切る音です。一番北側にある風車の真下に来ました。そして、首が痛くなるほど上を向いて風車を見上げました。こんな巨大な装置を、よくもまあここまで運んで組み立てたものです。
竹藪のジャングルを抜ける 平生や田布施の街並みが広がる
風車を見終わると、この史跡巡りウォーキング一番の難所である竹藪のジャングルに入りました。竹藪の中は日が当たらず、ジャングルジムの中を右往左往しながら歩いているようです。風車の直下のため、ゴーゴー言う風車の羽切り音しか聞こえません。足元に注意しながら、倒れている枯竹を何度も避けながら歩きました。しばらく竹藪を歩いていると、竹藪を抜ける道にポッカリと出ました。そこは、田布施や平生の街並みを見下ろせる広大な棚田でした。
平生町大野の長谷~日向平方面 史跡巡りコース
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平生町 大野 長谷~日向平方面 史跡巡りウォーキング(2/x)
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