高塔山から峠跡まで降りると、北に延びる低い稜線尾根を歩きました。尾根と言っても笹が生えていたり木が茂っているので気が抜けません。私が子供の頃は、お風呂の薪に利用するため定期的に木々を切っていました。そのため、いつも禿山のようでした。ところが、日本が高度成長した頃から薪を燃料として使わなくなり、樹を伐採したり笹を刈る人がいなくなりました。そのため、今では人が歩くことができないほど木々か茂るようなりました。今回は、これらの山を知り尽くしている私だからこそ歩けたと思います。頭の中にある山道を辿りながら皆さんを誘導しました。
高塔山から北に伸びる稜線尾根、皆さんを誘導しながら歩く
笹を中心とした下草をかき分けながら進んでいると、やっと山から下りることができました。今回は数時間にわたる藪漕ぎの連続でした。山を下りると、國木田独歩も見たであろう祇園牛頭天王社に行きました。そして、江戸時代にはお社があったであろう跡をみました。このお社は、昭和19年頃に軍からの命令により撤去されました。そして、戦後に祠だけ再建されました。お社跡を見学すると、高塔公民館に行って昼食休憩を取りました。
険しい山裾を通る やっと山を降りる 祇園牛頭天王社
高塔公会堂での昼食休憩が終わると、吉見山山頂跡に行きました。私が子供頃に360度の展望があった吉見山のことについて説明しました。40年位前に団地を開発するために削られて、今は吉見山山頂はありません。今は静かな団地になっています。団地に住んでいる方で、吉見山を削って団地が作られたことを知っている人はいないのではないかと思います。次に國木田独歩が仮寓していた吉見家跡に行きました。そして、國木田独歩仮寓吉見家跡石碑前で説明をしました。
仮寓吉見家跡石碑前で説明 解説した第二奇兵隊顕彰列石
吉見家跡の解説が終わると、麻郷神社(惣田山招魂社)に行きました。そして、第二奇兵隊の顕彰列石前で戊辰戦争で亡くなった方々の解説をしました。それが終わると、スタートした平生MaxValueに戻りました。高塔山の大変な山道歩きでしたが、有意義な一日ではなかったかと思います。参加された方々お疲れさまでした。
実踏しながら詳細に解説した吉見家跡,高塔山,八海周辺
↧
國木田独歩に関わる田布施町麻郷の史跡、吉見家や高塔山周辺を実踏ウォーキング(4/4)
↧