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Channel: 東京里山農業日誌
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昭和30年代の平生町の面影を巡る下見ウォーキング(1/4)

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 今年は、史跡を巡るウォーキングクラブ(正式名:健康ウォーキングクラブ)を立ち上げてから10年経つ記念すべき年です。10年前、介護別居のため田布施町に帰省しました。暮らし初めてすぐ、どこかのウォーキングクラブに入ろうといろいろ田布施町や平生町を探しました。しかし、そのようなクラブはいくら探してもありませんでした。ところが、とあるスポーツ用品店に勤める平生町の方から「それなら、自分でウォーキングクラブを立ち上げてみては?」とアドバイスされました。それが史跡を巡るウォーキングクラブを立ち上げるきっかけとなりました。その後10年間も続いています。ありがたいことです。

      江戸時代初期まで海に浮んでいた島の上に建つ久賀島神社


 今年初めての史跡巡りウォーキングは、平生町内の昭和30年代を思い出す史跡を巡るウォーキングとして企画しました。実は、私は昭和30年代初め保育園園児でした。田布施町の麻郷から八海橋を渡って平生保育園に通っていたのです。通う道すがら、海岸線に数多くあった塩田を見たり、その塩田で働くたくさんの浜子さんを見ました。国道188号線がようやく舗装され始めた頃でした。

 スタートはMaxValue    道端のお地蔵様1     聖観音菩薩堂
  

 当時の保育園は、今の平生町教育委員会の近くにありました。また、当時の旧習成中学校の北側にありました。園長先生は真覚寺のご住職でした。ちなみに真覚寺内には幼稚園がありました。保育園には確か年少の頃から通っており、4年間お世話になりました。当時の保育園には保母さん二人にお手伝いするおばあさんが一人勤めていました。その保育園時代、平生町内を通って、国道188号線を歩き、八海橋を渡り、高塔山の峠を越えながら、ほぼ毎日通園しました。当時の園児はすべて歩いていたのです。

       お地蔵様2            久賀島神社の鳥居
 

 さて、MaxValueをスタートすると私が園児時代に通った平生町内の道を南に進みました。お地蔵様1を見てから、聖観音菩薩堂を見学しました。昭和50年頃までは山門があったようですが、倒壊したのか撤去されています。その後、お地蔵様2や久賀島神社を参拝ました。続いて、お地蔵様3や國木田独歩と関りがあった小川今藏宅跡碑を見ました。そして、郵便局跡に向かいました。

     昭和30年代の平生町の面影を巡る下見ウォーキングのコース


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