次に法雲寺に行きました。このお寺に行った目的は、一年の安寧祈願をお願いするためでした。ところが、祈願を断られてしまいました。これにより、どのお寺でもお願いできると思っていたのは間違いであることか気がつきました。ご住職の言われることには、浄土真宗では祈願をしていないとことです。祈願をお願いできるのは、神社とかお寺であれぱ真言宗などのようでした。同じ仏教でも違いがあることを初めて知りました。次に野島神社の鳥居前に出ました。今回は時間が無かったため、丘の上にある野島神社には寄りませんでした。ちなみに、江戸時代初期の平生開作前までこのあたりは海で野島は島でした。
旧曽根小学校跡記念碑が建っている公園
次に直指院に行きました。今回は、直指院に入ってすぐ右側にあるお堂に行きました。このお堂は防陽霊場の一つで、その昔はたくさんの方々が巡礼に訪れたようです。昭和30年の初め私が幼児のころ、この院には尼さんがいました。当時体が弱かった私は、祖母に連れられてこの院によく来ていました。その尼さんが呪文か仏法の言葉を唱えながら、私の頭や肩などをさすっていたことを覚えています。今私が比較的健康なのは尼さんのおかげなのかも知れません。しかし、今は尼さんが唱える呪文や仏法が必要ない時代になってしまいました。
法雲寺を訪問 野島神社の石鳥居 直指院のお堂
曽根に向かう古道を歩いていると、道の左側に祠がありました。扉が開いており中には石仏が置いてありました。不思議なのは、扉が道に背く方向に開いていることでした。その昔、その方向にお社が建っていたのかも知れません。次に永大の運動場に行きました。ちょうどお昼になったため、誰もいない運動場に入って昼食休憩をとりました。風が吹いていてちょっと寒いためすぐに出発しました。
扉の方向が逆の祠 つばさ保育園前の道を通過
しばらく歩いていると、左手に公園が見えてきました。ここで小休止することにしました。ところが、この公園に記念碑が建っていました。その記念碑を見ると、この公園が旧曽根小学校跡地だったことが分かりました。芝生やトイレもあるし、椅子やテーブルもある公園でした。本番ウォーキング時にはこの公園で昼食休憩を取ることにしました。公園で小休止し終わると、次にゴルフ場,熊南総合事務組合資源活用センター,太陽光発電所を回り、戻ることにしました。途中、曽根のつばさ保育園傍の道を通りました。
昭和30年代の平生町の面影を巡る下見ウォーキングのコース
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昭和30年代の平生町の面影を巡る下見ウォーキング(3/4)
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