Quantcast
Channel: 東京里山農業日誌
Viewing all articles
Browse latest Browse all 4618

昭和30年代の平生町の面影を巡るウォーキング(5/5)

$
0
0

 水越から平生町街に入りました。下見の時に大内川沿いが工事中であることが分かっていたため、いったん野島神社の東側に向かいました。そして、大内川に架かる橋を渡って旧国道188号線を大内川上流に向かって歩きました。お地蔵様4を見た後、少し歩いて大内川に別れをつげました。そして、私が幼児の頃に通園していた旧平生保育園跡に行きました。旧保育園時代の名残りなのか錆びたブランコがありました。今考えれば、よくもまあ田布施町麻郷から歩いて通っていたなあと思います。当時は、子供も大人も何処に行くにも歩きでした。祖母がいた平生町人島を中継して麻郷高塔の我家と旧平生保育園を毎日のように往復していました。

      最後に南蛮樋などがある平生町歴史民俗資料館に立ち寄る


 ところで、その昔大内川沿いに山田薬局がありました。その薬局は縁戚にあたります。昭和20年代にその薬局の方はお産婆さんをしていました。私が幼児の頃、その薬局近くの家に何故だか入り込んだことがありました。その家では賑やかな結婚式が行われていました。その賑やかさに興味がわき、吸い込まれるように入り込んでしまったのです。その結婚式は、自宅で行われる和式の結婚式で、お嫁さんが角隠しをしていたことを覚えています。そして、婿と嫁に向かう左右の二列があり、対面するように紋付袴をした20~30人の男達が座っていたことを覚えています。親戚でもない私が、なぜ追い出されなかったのか今考えれば不思議です。婚姻した親戚の子供と勘違いされたのでしょう。その時に結婚した嫁婿は今、80歳代後半になっているはずです。

  野島神社東側階段    大内側沿いのお地蔵様4   旧平生保育園跡
  

 旧平生保育園跡を出ると、平生町庁舎の裏道を通って熊川に出ました。幼児時代の私は熊川に架かる橋を渡った後、平生座方面に歩いて帰りました。今回は、熊川を上流方面に向かって歩きました。川沿いの歩道を歩いて、祠を右に見ながら郵便局前に出ました。そして、横断歩道を渡って平生町歴史民俗資料館に向かいました。その途中、私がよく行った旧習成小学校跡地を訪れました。私はこの小学校には入学しませんでしたが、従妹達が入学したので学芸会や運動会を見に行きました。木造校舎や木造講堂などを思い出します。 

   熊川を上流に向かって歩く      広々とした旧習成小学校跡地
 

 旧習成小学校跡地を訪ねると、すぐ近くにある平生町歴史民俗資料館に向かいました。予想はしていましたが、コロナ惨禍のため休館中でした。そこで、どんな遺物が展示されているのか皆さんに紹介しました。そして、床下に展示してある回天の胴体の場所まで行き、回天について説明しました。なお、この史跡巡りウォーキングクラブでは、3年ほど前に大津島の回天記念館を訪ねました。回天の説明が終わるとスタート地点に戻りました。ウォーキングに参加された方々お疲れ様でした。来月は大畠周辺の史跡を巡る予定です。

     昭和30年代の平生町の面影を巡るウォーキングのコース


Viewing all articles
Browse latest Browse all 4618

Trending Articles