鳴門小学校前の坂はほぼ一直線に丘に向かっています。息せきながら登って行きました。すると、坂の途中に小さな屋根付きのお地蔵様7が安置されていました。そのお地蔵様7には千羽鶴が飾ってありました。病気か何かの快方を願って、どなたかが供えたに違いありません。さらに坂を登っているとT字路に突き当たりました。そのT字路は以前、柳井港から大畠まで史跡を巡ってウォーキングした時に通過した道でした。そのT字路から右に折れて東に向かいました。しばらく歩くと、海岸を見下ろせる展望が良い薬師堂に着きました。
灌木の急斜面を滑るように降りて、稲荷大明神に向かう
薬師堂で立ったまま休憩をしました。海を見ていると、四国に向かっていると思われる船が通っていました。確かオレンジラインとか言った連絡船でしょう。この船は、私が小学生の頃に祖母に連れられて道後温泉や松山城に行った時に乗りました。片道3時間位の船旅だったでしょうか。当時、平生の祖母の家からバスでJR柳井駅まで行き、JR柳井駅からJR柳井港まで行き、柳井港から船で四国に渡っていたように記憶しています。昔は自家用車は無く、歩き,バス,列車,船で旅行をしていました。バスは車掌さんが載るボンネットバスで、列車は煙を吐く蒸気機関車の時代でした。
坂の途中のお地蔵様7 眺めが良い薬師堂 南部霊場の大師堂
薬師堂からしばらく歩くと、遍照院に向かう坂道が見えてきました。遍照院には山をぐるりと回る八十八か所霊場があるのですが、全て回ると一時間はかかると思われました。時間がないため一番箇所のお地蔵様だけを見ました。続いて、30分位歩いて、南部霊場の大師堂に行きました。南陽霊場は知っていましたが、南部霊場とは聞きなれない霊場でした。綺麗に管理されていたので、麓に住む方々が守っているに違いありません。
旧斜面の途中にある稲荷大明神 JR大畠駅を見下ろせる薬王寺
続いて、稲荷大明神に向かいました。ところが、どこにあるのか分からず迷いながら探しました。灌木が生えた急斜面の途中にありました。落葉が堆積した急斜面の下り坂はすべりそうでした。稲荷大明神の前には巨大な岩があり、かつては水量が豊富だったようです。しかし、上に自動車道が作られてから地下水脈が切れたのか水が出なくなったようです。今はしずくほどの水が流れていました。この場所から大畠街に向かって水路が繋がっていました。かつては大切な水が供給されていたのでしょう。その守り神として稲荷大明神が建てられたのかも知れません。続いて、薬王寺に寄った後に出発したJR大畠駅に戻りました。下見ウォーキングに参加された方々、お疲れさまでした。
柳井市大畠の史跡巡りのため下見したコース
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柳井市大畠周辺の史跡巡り下見ウォーキング(5/5)
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