柳井から日積に行く時にいつも通過する石井ダム、この駐車場に集合しました。いつもの7人が集まりました。真夏のため少々少ない人数でしたが、和気あいあいにスタートしました。最初は、石井ダムの堰堤に埋め込まれたタイル絵を見学しました。柳井市だけでなく、近隣の田布施、平生、上関の名所旧跡も描かれていました。タイルに描かれた旧跡のほとんどに、このウォーキングクラブで行きました。みなさんと懐かしみながらタイル絵を一つ一つ見学しました。次に堰堤下にある石井ダムパークに寄りました。下見時にも思いましたが、もう少し管理されているといいですね。水車付近はまるで廃墟です。
岩国~竪ヶ浜街道途中の馬皿に安置された美人地蔵
石井ダムバークから中馬皿に向かいました。途中、山脇を通る馬皿~日積の旧街道に入りました。人がようやく擦れ違うことができる山道です。その山道に安置された出雲社に寄る直前、たまたま見かけたお婆さんに挨拶をしました。すると、出雲社を管理している方でした。今や誰も通らない山道ですが、その方が草を刈ったりして整備しているのでしょう。ご苦労様です。
石井ダムのタイル絵 廃墟のような公園 旧街道の出雲社
出雲社を見学した後、舗装道路に戻りました。少し歩いていると、田んぼ脇にブルーシートがバックネットのように張られていました。たまたま近所の方がおられたため聞いてみました。すると、籾摺りの時に籾殻が風で飛ばないようにする工夫だそうです。その後、少し歩いて広々とした旧柳北小学校跡地に着きました。ここで少しの間トイレ休憩しました。
休憩後、しばらく歩いて中馬皿バス停に向かいました。たまたますれ違ったお婆さんに、かつてあった老人ホームの場所をお聞きしました。すると、旧柳北小学校跡地に老人ホームが作られていたそうです。介護保険制度ができて養護老人施設等が建設された頃に撤去されたのでしょう。
広々とした旧柳北小学校跡地 本尊十一面観世音菩薩の祠
続いてバス停近くにある本尊十一面観世音菩薩の祠を見学しました。バス停前の店(今は閉店)に住むお婆さんが、これから訪れる美人地蔵と共に管理しているそうです。このバス停付近は昔、とても賑やかだったと思われます。柳井~伊陸~日積の中継地にあり、旧柳北小学校がありましたので。
明治・大正時代も人や馬の背に荷物のせた商人などがさかんに行き来したと想像できます。今のバス停前のお店で、お茶でも飲んで休憩したのではないかと想像できます。
柳井市 中馬皿周辺の史跡を巡ったルート
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柳井市 上馬皿周辺の史跡巡りウォーキング(1/3)
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