史跡を巡るウォーキングでは、山を歩くことが少なくありません。それは、神社仏閣が山の中腹にあることが多いからです。今回は、神社仏閣ではなく昭和の雰囲気を懐かしむため柳井市街の古い建物を中心に歩きました。そのためほとんど平坦な道でした。
私と一緒に歩いたのはほぼ同年齢の方々ばかりです。そのため、記憶にある昭和を思い出しながら歩きました。昭和40年代に柳井商業工業高校を卒業した方々は、特に懐かしかったようです。無くなったプール,料理屋の亡き先代さん,デパート跡,文房具屋跡,そして思い出の通学路などの懐かしい話が飛び交いました。
柳井市街の昭和の懐かしい建物や通りを訪ねるウォーキング
JR柳井駅から西に歩き始めると、民家の細い通りに入りました。この細道は地元の方しか歩かないレアな道です。その道をしばらく曲がりくねりながら進むと、昭和な民家がありました。母屋と風呂小屋が離れている民家です。今はお風呂は家の中に一体化しています。しかし、昭和の時代は風呂は母屋とは別にありました。または家の隅っこや廊下の端にありました。そのため、私が子供の頃、真夜中に裸電球1本のお風呂に入るのが怖かったくらいです。トイレも外にあったり廊下の突き当りにありました。
昭和史跡巡りスタート 母屋と風呂小屋 小川と洗い場
小川の傍に洗い場がありました。冬の小川には水が流れていますが、夏は水が滞留して綺麗とは言えません。昭和の時代、この洗い場で収穫した野菜や食器などを洗ったのではないかと思います。ちなみに昭和時代の我家は手押し式井戸ポンプで水を出しながら収穫した野菜を洗っていました。また、水甕に入れた水を使って食器を洗っていました。昭和40年後半になって、ようやく電動ポンプに切り替わりました。以降、水汲みなどの労働が無くなりました。
調理と裁縫学校の跡 柳井学園に沿う側溝
線路脇を通っていると、調理と裁縫の専門学校跡がありました。今回のウォーキングに参加した方の一人は、この専門学校に通って調理と裁縫を習いながら花嫁修業したそうです。「花嫁修業」の言葉は昭和ならではの言葉でしょうか。
その後、柳井園芸裏を通って柳井学園の裏門に出ました。そして、傍の側溝道を通りました。その側溝を覗き込むと、たくさんの川シジミの殻が散乱していました。どうも川シジミが生息しているのではないかと思います。いつか来て、川シジミがいるかどうか確認したいと思います。
柳井市街に残る昭和の建物史跡をウォーキングしたコース
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柳井市の昭和の建物を訪ねるウォーキング(1/x)
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