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Channel: 東京里山農業日誌
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田布施川支流の灸川を調査ウォーキング(1/4)

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 先日の雨以来、ずっと家にいることが多かったため、田布施川支流の灸川を調査するためのウォーキングをしてきました。真夏のような暑さではなかったのですが、約13kmほど歩き続けると、さすがに体がほかほか暑くなりました。スタートは、田布施川にかかる川添橋です。この橋から少し田布施川を下ったところに灸川があります。

     スタートした川添橋、天気良好      川添橋から田布施川下流を見て
      遠くに見えるのは赤子山
 

 灸川は大波野方面から蛇行しながらこの田布施川流れ込んでいます。この田布施川と灸川の合流地点は、少し深くなっており魚がたくさん泳いでいます。子供の頃、この場所でよく遊びました。江戸時代後半、この灸川と田布施川は同じ位の川幅のようでした。その痕跡があちこちにあります。そもそも江戸時代初期の竪ガ浜は海でしたので、灸川は当初熊毛南高校近くにあった海岸に流れ込んでいたと思います。干拓が進むにつれて、今のように川になったようです。なお古い昔、灸川は余田や新庄側に流れていたこともあったようです。

                  左の灸川と右の田布施川の合流地点


 灸川からは左岸の道をどんどん上流に向けて歩きました。このルートは私が幼児の頃、祖母に連れられて田布施の天神様のお祭りに行く道でした。当時は、周りに田んぼしかないさびしい道が川に沿って延々と続いていました。この道は江戸時代初期は、海岸線だったようです。この道付近と竪ガ浜の間が海だったのではないでしょうか。

    江戸時代初期の海岸線に沿う道         中央下水場と灸川が合流する
   その後灸川の堤防となり茅が茂る             灸川排水機場
 

 灸川は古くからよく決壊したのでしょうか、灸川排水機場から上流付近では、古い石垣や木の杭があちこち見られます。杭は水中だと長持ちするのです。ちなみに、イタリヤの水の都ベニスは、無数の杭の上に建てられてできた街です。杭や所々壊れた石垣を見ながら進むと、熊毛南高校手前の橋が見えてきました。

      古い木の杭があちこちに散見            熊毛南高校傍の橋
 

 橋に着くと、そこは懐かしい場所でした。下の写真で、左の道を進むと熊毛南高校の校門があります。右の道を進むと平生町に行きます。真ん中の家は、私が高校生だった頃はお店がありました。そして、このお店の前にバス停留所ありました。バスに乗る生徒は、このバス停留所でバスを待ちました。今、岩田方面からJR田布施駅に降りて、熊毛南高校に通う生徒は、どんな交通機関を使っているのでしょうか。バスは無いので、自転車でしょうか。
 私は、当時から歩くのが好きでした。このため、毎日のように麻郷と高校の間を歩いていました。帰り道、灸川の広い堤防斜面でよく昼寝をしたり魚釣りしながら帰りました。当時の私は、クラブ活動もしない自称孤独を愛する高校生でした。

                 懐かしい、熊毛南高校傍のバス停留所跡


 今回ウォーキングして改めて気がついたのは、田布施はとてもクリーク(水路)が多いことです。古代の田布施は海でした。そして江戸時代初期に、ようやく竪ガ浜までに海が後退しました。海抜に近い当時の田布施は、しばしば氾濫が起きたと考えられます。水を海に排出するために、たくさんのクリークが作られたのではないかと思います。田布施街内の水路は上に蓋が置かれて、水路があることさえ分からなくなりました。

    スタートしてから灸川を上流に向けてウォーキング、そしてクリーク沿いに帰る
                                       ピンクの線は、今回歩いたルート


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