義母の四十九日に来れなかった方々のために
21日、義母の四十九日法要でした。義母と私の付き合いは家内との結婚以来です。しかし、結婚に反対だった義父母でしたので、家に行くのがいつも気まずかったものです。何年経っても、義父と義母の間に座っていると針山の上に座っているようでした。そのうち子供(義父と義母の孫)が生まれてくると、少しはにこやかになりました。そんな義父が亡くなり、そして義母が亡くなりました。
しめやかに執り行われている義母の四十九日法要
義母のお骨はお葬式後、義母の家に静かに置かれていました。そして今回の四十九日法要をもって、義父が待っているお墓に入ることになりました。義父は末っ子で、一人福島から上京して生計を立て、自分のこのお墓も購入しました。都心のお墓は決して安くはなかったと思います。子や孫が訪れやすい練馬駅近くにあるこのお墓、これからも子や孫達がお祈りに来ることでしょう。
義父が待つお墓に向かう義母のお骨 住職さんのお祈りに頭を垂れる
何年か前、このお墓を新しく購入した時に呼ばれたことがあります。都心のお墓でしたが、新しく造成したお墓でしたのでまだ空きがたくさんありました。しかし、久しぶりにこのお墓に来てみると各種墓石が林立していました。一瞬、義父と義母のお墓がどれか分からなかったほどです。
義父と義母が仲良く入っているお墓と、横にたたずむ家内
義父と義母は娘たちをとても厳しく育てたようです。そのかいあって、娘3人はそれぞれ自立して円満な家庭を築いています。そして、孫達も立派に育っています。私とはいろいろいきさつがあってなじめなかった義父と義母です。しかし、娘3人を独立させるなど、立派な親業を果たしてあの世に旅立ったのではないかと思います。
悲しいと言うよりも、「これまで本当にありがとう。あとは自分たちで頑張るから心配いらないよ!」と言うような、感謝の四十九日法要だったように思います。
お骨の入ったお墓、祈りをささげる 墓前で、家内の妹2人
これを書いている途中、シンガポールに住む娘からメールが入りました。それは、34歳の友達が亡くなったとのメールでした。仕事に来ないので訪問したら亡くなっていたそうです。人生半ばに達しないうちに、しかも人知れず異国で亡くなるのはとても可愛そうに思います。もっとやりたいことや、結婚や子育てなどたくさんの夢や希望があったろうに。娘の今日明日は、日本との連絡などで大変な日になりそうです。
今回の義母の四十九日法要はどちらかと言うと朗らかな法要でした。しかし、娘の友達のお葬式はとても悲しいものになるのではないでしょうか。
四十九日法要に参列された、義母方の親戚の方々
四十九日の法要がつつがくなく終わると、親戚と一緒に昼食をとりました。これまで、家内の妹達の結婚式,義父と義母の葬儀などで会ったことがあります。しかし、話をすることもなく私の知らない親戚ばかりでした。今回、その親戚と少しばかりお話しをしました。すると、家内の曾祖母から続く親戚でした。義母が亡くなった今後、お付き合いすることも減るだろうと思うと、少しばかり残念に思います。
右より、家内の末妹,末妹の夫,家内,そして末妹と夫の息子
親戚が帰ると、いったん義母の家に戻りました。しばらく休憩後、練馬街にある酒場に行きました。私の娘と息子を除く全員が集合して久しぶりにお酒を飲みながら談笑しました。義父や義母の兄弟や叔父叔母とのお付き合いは今後減って、家内姉妹の家族との親交が強くなると思います。世代が変われば付き合いの範囲も変わります。みんなと冗談をかわしつつ楽しい夕闇を過ごしました。その夜遅く、家内と八王子の我家に戻りました。
楽しい末妹夫婦と歓談 次女家族達とも歓談
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義母の四十九日法要のため東京に (2/4)
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